"肉味噌ピーマン"と品書きにはあつた。
画像を見れば、名前に誇張も偽りもないと、判つてもらへると思ふ。うまい…絶品とは云へないけれども。
この肉味噌ピーマン、うまいのは勿論、もつ煮だの串焼きの盛合せだので、ある程度お腹が膨れた後、もう一ぱいか二はい、呑みたい時に註文すれば、そぼろをちびちび摘めていい。 ここでの"いい"には、都合とか具合とかの冠がつくので、お店からすると、迷惑な態度であらう。
伊丹十三のエセーで、ある詩人のゴシップを讀んだ。どこのレストランだつたか、食事の後、何も云はなくても珈琲が出されるならはしになつてゐて、詩人曰く
「かうなるまでには、随分お金を遣つたのだよ」
詰りそれだけ通つたから、お店の側も心得るに到つたといふ自慢である。厭みな話だなあと思ふでせう。ただそのレストラン、タイヤ會社が星を附けるやうな高級店ではなかつたさうで、伊丹は可笑しがつてゐた。尤も可笑しがりつつ
「どんな店でも、さういふ我が儘を通すには、その店にとつて"よいお客"であらねばならぬ」
とも續けてゐて…現物が見当らないから、記憶で書くのだけれど…、確かにねえと膝を打たざるを得ない。
さう考へると、肉味噌ピーマンをお供に、焼酎ハイをだら助と呑んで、大将や店員さんに厭な顔をされないのは、偶さかの我が儘が許される程度まで、馴染んでゐるのだと胸を張つていいのだらうか。