『ヨーロッパ退屈日記』
昭和四十年刊行だから、私よりわづかに年上の本。
当時の伊丹は卅二歳。詰りこの本の中身は、かれが廿台の頃に書かれたことになる。たとへばマドリッドでは
やがて十一時頃になって、あたりが暗くなり、そろそろ涼しくなる頃、われわれは黒っぽいスーツに絹のタイをしめて、冷たい蟹などを喰べに街へさまよいでるのです。
或はヴェニスのホテルで、三船敏郎がジョニー・ウォーカーの黑とタタミイワシ(三枚)を持つて訪ねてきて
結局、三船さんが、ちり紙を老ねって火をつけ(中略)、煤けたタタミイワシを肴にジョニクロを飲む、グレイト・ミフネと数人の日本人たち。豪華なような、わびしいような、心の捩れるような思いをしながら、わたくしは遠くまで来てしまったな、とつくづく思ったのでした。
叉南佛で手に入れた"素敵なヒレ肉"の扱ひに就て
きみは知っているだろうか。オリーヴの枯枝で焙ったヒレくらいうまい焼肉は存在しないのだよ。
卅歳になるやならずの若ものが書く文章だらうか。これを才能と呼ぶのは誤りでないとして、併しだとすると、そろそろかれの享年に近い年齢になつた私が書いてゐるこの手帖は、ぜんたい何なのかとなつてしまふ。僻目は置きませう。
一篇一篇はごく短い。その話題は多岐に渡つてゐる。但しそれらは時勢流行に背を向けつつも、隠遁的ではなく、大眞面目と諧謔と皮肉を巧みに混ぜあはし、時に"正装を強要する"社會に手を拍つ。或は男のお洒落に就て
要するに、お洒落、なんて力んでみても、所詮、人の作ったものを組み合わせて身に着けているにすぎない。
ならば、いっそまやかしの組み合わせはよしたがいい、正調を心懸けようではありませんか。
そして正調の反対にあるのは場違ひなのだと(手厳しく)教へてくれる。久し振りに讀みかへしてこの本には微かに、永井荷風の匂ひがすると思つた。あのひとは自分が生きた現代の東京を、欧米の紛ひものと見做し、厭惡の感情を隠さうとしなかつた。日本をきらつたのではなく、伊丹の言葉を使ふなら、江戸の正調を棄てた様を厭つたと云つていい。伊丹は伊丹で、ヨーロッパの秩序、文化的な聯續性(念を押すがかれの目に映つたヨーロッパは、ほぼ六十年前である)と、それを無秩序に受け容れた(当時の)日本に首を傾げてゐる。かれに文明批評の意図は無かつた筈だが…かれは後書きでこの本の意図を、婦人雑誌の広告で目にする"実用記事満載!"と記してゐる…、正調…トラディショナルであらうとし、それを文章で示さうとした時、どうしたつて批評的な一面が出るのだらう。そこでもうひとつ。この一冊は本來、中學生くらゐの年齢で手に取るべきだつた。後悔はあるが、もう遅い。