何かの本で讀んだゴシップ。我が國某社の編輯者は、担当してゐた吉田健一が帰國する際、空港まで迎へに行くならはしになつてゐた。あの批評家兼小説家兼健啖家兼飲み助が行く外國といへば英國だが、ロンドンから東京までの飛行機内で、最後の一ポンドまで呑んで仕舞ふ。だから空港から自宅まで作家を送るのが、その編輯者氏の役割だつた。尤も飛行機から降りた吉田は、そのまま帰宅せず、空港のバーなりラウンジなりに立ち寄り、名残りの一杯(もしかすると二杯)を呑む。豪傑だなあ。編輯者氏は経費で賄つたのか知ら。
そのバー乃至ラウンジで吉田は、編輯者氏にお土産を渡すさうで、それが必ず紺いろで織地のネクタイだつたといふ。ゴシップの筆者に云はせると、"これが本式"ださうで、更に(女は兎も角)男の服装は英國流儀がよろしいとつけ加へてあつた。私は冠婚葬祭を除き、ネクタイを締める機會を持たない男だから、筆者の見解を評するのは手に余るけれど、吉田は英國好みのひとだつたから、その趣味も英國風になつたとして、不思議ではないとも思ふ。
ロンドン…といふより、ヨーロッパ好きといへば、伊丹十三も思ひ浮ぶ。かれの若書きのエセーを讀むと、ネクタイは血膿いろが典型らしい。吉田のお土産と色は異なるが、単色無地は共通してゐて、その感覚…簡素でなければ無愛想…が詰り英國風といふことか。もうひとり、近しい人物を挙げるなら檀一雄がゐる。尤もこの流浪人は服飾に無頓着だつたのか、ネクタイに就て触れた箇所を目にした記憶がない。その分、ローストビーフだのスモークトサモンだの、如何にも英國な食事に舌鼓を打つてゐる。どちらも調理法に凝つてゐない、簡潔乃至無愛想な点が、ネクタイを聯想させる。
一方で英國ロンドンに濃い縁を持ちながら、どうもあの國あの町に感激した気配を感じないひともゐる。夏目漱石先生(と敬称をつけるのは、尊敬する内田百閒の師匠だから)がさうだつた。あの小説家がロンドン…英國に感激し、滞在した頃を懐かしんだゴシップは聞いたことがない。
漱石先生の英國滞在は明治卅三年から卅五年(卅三四歳から卅五歳)にかけて。大日本帝國とロシヤ帝國の関係が危ふい時期ですね。帰國の年には日英同盟が成立してゐる。明治の青年であれば、腹の底のどこかに陰鬱な気分が沈んでゐても不思議ではない。それに漱石先生は、世界第一等の都市で、たいへんな貧乏暮し(本代に費やしたらしい)をしたといふから、國家に仕へる立場だけでなく、個人としても、陰鬱な気分だつたらう。帰國の船中、最後の一ポンドまで呑み尽くす豪傑振りを發揮出來ればよかつたが、あのひとは異國ですつかり神経をやられてゐたし、そもそも専属の編輯者もゐなかつた。ゐたとしても、東京風の冗談なら兎も角、無地のネクタイを贈る英國風の洒落つ気は持合せなかつたらう。