閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1115 安定好みお馴染み好み

 葱と大蒜、ハラミは二本。

 串焼きでは一番、安心出來る組合せではないかと思ふ。ハラミの一本を、鶏皮やレヴァやタン、或はササミにする手はあり、大蒜を獅子唐にすることもあるが、後者は兎も角、前者は焼き手の技倆次第の部分が大きい。従つて安定感に欠けるかなあといふ気がする。

 自分で云つていいものかどうかはさて措き、呑み喰ひに関しての私は保守的な男だと思ふ。進んで新しい食べもの種ものを撰ぶことが滅多にない(おでんなら、大根と玉子と厚揚げと牛すぢ)から、さう云ふので、臆病ものと称する方が實態にちかい。

 保守的は恰好をつけすぎだし、臆病ものは卑屈な感じがする。仕方がない、ここでは安定好み叉はお馴染み好みと、誤魔化しておきませう。

 外れを引く心配が(少)ないのが大きな利点。麦酒もつ煮にポテトサラドから始めて、上の串焼きに移れば、まことになだらか、不満を抱く破目にはなるまい。最後に〆鯖とお酒の一杯も平らげれば、綺麗に纏まりもする。但し(大)当りになる可能性がひくい短所もあつて、表裏だから仕方がない。

 不見転や馴染みのうすい呑み屋でなら、安定志向がいい。それで味だの傾向だの、判つてきたら、鶏皮やらレヴァやらを焼いてもらふ。これが宜しければ、通ふことになり、お馴染みの度合ひが深まつてくる。註文を繰返すうち、そのお店での型が定まつてもきて、詰り安心出來る。

 尤も今、そんな手順を踏む機會は滅多に、といふより殆どない。不見転で暖簾をくぐるのは面倒だし、不安でもある。なので既に型の定まつた呑み屋に入る。その意味でも私は、安定好みお馴染み好みであつて、葱と大蒜とハラミは、その象徴と云つていい。