巷間の新語や流行語にはまつたく疎い。
といふより、殆ど知らない。
だから"町中華"の文字を目にした時は、一体なんだと思つた。文脈を見るに、町中にあり、チェーン店ではない、ラーメンは勿論、定食や一品ものも充實した、麦酒だけでなく、焼酎ハイなぞも呑める店を、さう称するらしい。何十年か前なら、簡潔にラーメン屋と呼んでゐたと思ふ。それで何年も前になくなつたが、某所にあつたラーメン屋…訂正、"町中華"と呼べさうなお店を思ひだした。
ラーメン(醤油と味噌)や叉焼麺、酢豚や回鍋肉や青椒肉絲や麻婆豆腐や海老のチリー・ソース。
焼き餃子に焼賣に春巻。
鶏の唐揚げに鯵フライにコロッケに烏賊フライ。
玉子や若布のソップに春雨のサラド。
五目炒飯、海老炒飯、あんかけ炒飯。
ソース焼そば、かた焼そば。
肉野菜炒め定食、焼肉定食、ミンチカツ定食。
初めて入つた時、壁に貼り込まれた品書きを見て、さあここは中華料理屋なのか、定食屋なのか、なんとも戸惑ひを感じたのは忘れ難い。
壜麦酒、生麦酒、焼酎ハイに烏龍ハイにレモンサワーもあつた。更にどうやら一升壜の取置きも出來たらしく、奧の方で卓に焼酎の一升壜を置き、水で割りながらだらう、だら助を決め込む小父さんを何度か見掛けた。有り体に云へば古ぼけて小汚いかまへだつたが、出すものはまづくなかつたし、土地柄を考へれば、納得のゆく値段でもあつた。併し果してあのお店が、"町中華"に含まれるのか、どうか。何しろ"町中華"といふ言葉自体を知つたのが、ごく最近だから、どんなお店をさう呼ぶのか、見当をつけかねてゐる。新語の常で、實際は曖昧なのだらうけれど。
ここで私は、近所にあつた蕎麦屋(もう暖簾は下ろした)を思ひだす。かつ丼は兎も角、とんかつや天麩羅の定食、カレーライス、果ては夏になると冷し中華まで出してゐた。無節操…と云ふより、よろづ食堂化と呼ぶ方がいいか。更に遡ると、洋食屋があつた。カットレットとクロケットとハンバーグとミンチカツを出す傍ら、烏賊リングや茄子の味噌炒めや鶏の天麩羅に、ごはんとお味噌汁と小鉢と香の物をあはせた定食を用意して、我われを喜ばせる。これも上に挙げた蕎麦屋と同じく、よろづ食堂化である。
こんな風に考へるとどうも"町中華"は、よろづ食堂となつた蕎麦屋や洋食屋の同族であるらしい。ぢやあ何故、"町中華"のよろづ食堂化が起きるのか知ら…などと不思議を感じなくても、厨房には牛肉が豚肉が鶏肉がある。烏賊に海老がある。葱と生姜と大蒜がある。韮に白菜に玉葱に筍がある。キヤベツにトマトに胡瓜がある。人参に玉葱にピーマンにもやしがある。塩と胡椒と砂糖と醤油と味噌と唐辛子がある。マヨネィーズやケチャップ、ウスターソースがある。卵と小麦粉がある。
そこに火と鍋と油があるんだから、一藝特化のひとでなければ、何だつて作れる。ちよつとした好奇心のあるお店だつたら、試したくなるのではないか知ら。いはばお料理好きのお母さん…と云つたら、どこかから咜られさうな不安もあるけれど、お料理好きのお父さんは、掛かる費用や手間を考へず、後片附けだつて出來ないに決つてゐる…が、応用と転用と工夫を凝らし、失敗も重ねながら、レパートリを増やしたやうに、ラーメン屋が中華料理屋を経て、"町中華"へ変貌したのではないかと想像するのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらう。
"町中華"といふ見知らぬ言葉から聯想が進んだ挙げ句、近くにかういふお店があつたら、ポテトサラドと枝豆と焼き餃子と酢豚をやつつけてから、醤油ラーメンで〆る樂み(壜麦酒や焼酎ハイを呑むのは念を押すまでもない)も近くなるのになあと考へた。我ながら暢気といふか、平和なものである。