先日、尊敬する檀一雄の『檀流クッキング』の頁を、ぱらぱら捲つてゐると、韮玉の文字が、目に飛び込んできたんです。昂奮を感じましたねえ。何となく、だけれど。
檀が書いたのは、韮を強火でしんなりする程度に炒めて、卵を二つ三つ溶き入れ、半熟より少し煮えたくらゐで取り出し、アミの塩辛をまぶしつけながら食べる、といふ手順。讀んだ限り、炒める際の味つけはしてをらず、韮の風味と塩辛で食べる趣向らしい。成る程なあ。塩辛は兎も角…白状すると苦手なのだ…、韮玉は大の好物である。麦酒にも焼酎ハイにもお酒にも似合ふ。
ところでその韮玉、お店によつて意外なくらゐ、異なつてゐる。一ばん多いのは、檀流の煮る方式かと思ふ。併しある呑み屋では、しつかり火を通したのを、山盛りのキヤベツに乗せ、ウスターソースを掛け、お好み焼きのやうな姿で出してきた。驚いたのは、熱湯をくぐらせ、切り揃へた韮を、小鉢に盛りつけ、醤油をどうかしたと思へるたれを掛け、卵黄を落としたのを、お待ち遠さまと出された時で、どうすればいいものか、戸惑つた。卵黄を崩し、韮にまぶしつつ(混ぜはしなかつた)摘んだら、確かに惡くなかつたけれど、その食べ方でよかつたのか、今も自信がない。
料り方の様々はさて措き、韮と玉子の組合せが、出會ひものなのは、間違ひない。粗つぽく調べた限り、葱の一族であるこの植物は、中國大陸原産。だから無数の中華人が、韮を使つた料理を考案し、時に失敗し、或は成功もして、我らが韮玉も、その中に含まれたにちがひない。それで前段の"料り方の様々"に、改めて目を向けざるを得なくなる。簡単に云へば、品書きに韮玉とあつた場合、それが煮か焼きか炒めか、叉はそれ以外の料り方なのかを、品書きの二文字で判断するのは、かなりの難問といふものだ。
念を押すと私は、韮玉"煮"を一ばん好む。親子丼風に甘辛く味つけたやつ。間違つても、金ものの器はいけません。
厚手のお皿に盛られたのを、木の匙で掬つてから、ほんの少し、七味唐辛子や粉山椒を振る。うまいね、これが。冒頭に書いたとほり、麦酒や焼酎ハイによろしいが、ハイボールにも適ふ。葡萄酒をあはしたことはない。とは云へ、濃いめの赤なら、不釣合ひにはならない気がする。中華生れの調理を、日本風の味つけで仕上げて、西洋のお酒で味はふと思つたら、中々愉快である。残る問題は、私が足を運ぶ範囲に、韮玉"煮"を食べさせる呑み屋がないことで、こんなことを嘆いたら、檀から咜られるにちがひない。