閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1119 劃期

 ニコンフラグシップ機で、劃期と呼んでいいのは、F4だと思ふ。もしかすると、Fマウントを使ひきれる、唯一の銀塩ニコンかも知れない。

 ごく簡単に云つて、初代から先代までの三機に、自動焦点と、自動巻き上げを追加したのが、F4だつた。液晶パネルは乗せず、操作の多くはダイヤルに任せてあつた。

 クラッシックなインタフェイスでタフ。

 様々の條件下で使へる信頼に足る挙動。

 更に過去の資産の転用が可能。

 当時、さういふ要素、イメージと呼んだつていいが、それを一眼レフの形にすれば、F4になつた筈で、後はペンタックスのLXが辛うじて近い。

 

 一時期、使つてゐた。F4には同Eと同Sも用意されてゐたが、手元にあつたのは素のF4で…手に入れた理由は忘れた。大方、中古で値ごろ(この場合は廉の意味)なのを見つけ、うつかりしたのだと思ふ。

 大きく、重いが、手への収まりはいい。

 最初にさう感じた。

 それから兎に角に頑丈さを感じた。

 自動焦点は速くないと思つた。元々キヤノンのEOSを使つてゐて、その経験との比較だつたが、FDマウントを切り捨て、速さを得たEOSと、旧來のマウントを増改築したF4を較べたのは、不公平な態度だつた。今さら遅いけれど。

 どのレンズを附けただらう。記憶に残るのは、トキナーの広角ズームで、ニコン純血主義者からは、咜られるやも知れない。ただその当時、ニッコールに同等のレンズはラインアップされてゐなかつた筈で、レンズメーカーはかうでなくちやあ、いけませんよ。

 一キログラムをらくに超過する組合せだつたのは間違ひない。幅の広いストラップを附け、首からぶら下げると、つんのめりさうだつた。

 但し。但しである。それを構へると、實際よりぐつと軽かつたから、驚いた。いや重さが変るわけはなく、上に書いた手への収まりのよさに加へ、重さの配分がきつと、巧かつたのだ、と気がついて、ニコンは流石だなあと感心した。

 そこで確か、九十ミリのズミクロン附きのM3を持たしてもらつたことを思ひだした。まつたくのところ、重たい組合せである。併しこれも叉、構へると、實にいいバランスで、重たいのはその通りだが、不快ではなかつた。ライツ社は自社の製品を軽くするなどと、一ぺんも考慮しなかつたと思ふけれど、構へた時の重さを散らす…バランスを取る点は、相応に注意してゐたのではなからうか。

 

 F4がM3を見習つたかどうか。遡つて初代Fの、更に原型となつたSPは、さう見立てて(正確にはM3に、イェナのコンタックスを混ぜこんだやうな造り)誤りとは思へない。であれば、F4にもM3の血が一滴二滴、残つてゐると考へたくなるが、強引に過ぎると云はれさうなんだが、その辺の置附けは、冩眞機構造史の専門家に任せるのが賢明としませう。

 ところで現代のレンズ交換が可能な機種の中に、設計に当つて、その辺を考慮した例はあるのか知ら。何となく、ボディはボディ、レンズはレンズと、線が引かれてゐる気がされてならない。すりやあまあ、どつちの設計者も、自分の担当で最良の結果を出したいに決つてゐるから、その辺りへの注意力が散漫になるのも不思議ではないと思ひはする。とは云ふものの

 「ボディとレンズ(とアクセサリ)のバランス」

の設計者…恰好よく、プロデューサーと云ひませうか…は、必要な立場ではありますまいか。さうなつたた時、Zマウントに移つたニコンに、F4のやうな劃期が生れると思ふのだが、我がニコンの豪いひとには、如何お考へか、話を伺つてみたい。