尊敬する檀一雄は"ヒヤツ汁"と記し、"ヒヤツチル"と訓ませてゐた。舌触りのある書き方とは、かういふことなのかと思ふが、この稿では冷や汁で通します。雑に云へば
焼いた白身魚の身を摺る。
その魚の頭や骨で出汁を取る。
お味噌を焼き、摺つた魚肉と胡麻を混ぜて、更に焙る。
先刻のお出汁で、その焙り味噌を濃いめに溶いて冷す。
その濃くて冷たい味噌汁を、熱い麦飯に白身魚の一部をお刺身にしたのだの、葱に紫蘇に海苔、茗荷やら胡瓜やら蒟蒻やらを乗せたところに、打ち掛けて啜りこむ、日向や薩摩、或は伊豫の食べもの。
うまいものです。麦飯は抜きにして、白身魚の一部をお刺身にして、そこに打ち掛ければ、宿醉ひの朝の恰好のお椀となりさうである。朝の一ぱいを呼びこむ結果になるかも知れないけれど、それも叉嬉しからう。
由來に就て檀は、『美味放浪記』の中で、中華のお粥料理が原型ではないか、と考へてゐる。あちらではお粥にお刺身を乗せ、熱いソップをかけるのは、ありふれてゐるさうで、但しこれは昭和四十年以前の話。現代中國ではどうか、私は知らない。
話を逸らす。海鮮丼といふのがありますな。温かい酢飯に幾種ものお刺身を乗せ、山葵醤油を垂らしつつ食べるやつ。あれを私は好まない。何といふか、早鮓の出來損ひのやうで、これなら煮穴子や鯖の酢〆、烏賊をあしらつた散し寿司の方が喜ばしい。
併しそのお刺身を、熱いお粥(乃至ごはん)と、熱いソップで平らげるのは、愉快さうに思へる。だつたら海鮮丼も、熱い(酢)飯に熱いお出汁をかける方が、うまいんではなからうか。寿司屋の大将、如何でせう。
たださうなると、熱い麦飯に冷たい味噌汁を打ち掛ける冷や汁は、どうなのか知らと、疑問にならない疑問が浮んでくる。厭ですね、この"~はどうでせうか"といふ云ひまはし。なんにも、訊いてゐないもの。質問者の知性が疑はれ…えーと、何だつたらう。さう。熱い飯と冷たい汁を組合せて、熱くも冷たくもなくなりやしまいか、といふ不安。
とは云ふものの、冷めしに熱いお味噌汁を注ぎ入れ、ぞろつぺえに啜るのはうまい。そして冷や汁の食べ方が、汁かけごはんに遡れるのは、間違ひあるまいから、私の不安は杞憂と断じてもかまはないでせう。第一冷や汁はいつだつたか、宮崎県の県産物販賣所…アンテナショップといふのか…で食べたことがある。曖昧に云ふと、美味しかつたが、ごはんも冷し、さらさらした仕立ての、冷たいお粥のやうであつたと記憶してゐる。かうなると、改めて確めたくなつて、さてどこに行けばいいものか。檀に相談したくもあるが、あのひとならきつと、自分で試したまへよと咜られさうだ。