閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1121 烏賊フライ

 洋食と聞けば、ハンバーグやポークソテーやクリームコロッケ、海老フライが浮ぶ。まあ順当なところでせう。

 ではそこに、烏賊フライを加へるのは、どうだらうか。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏なら、きつと双手を挙げてくれると思ひつつ、烏賊のフライは洋食の中でも、案外に特異な地位を占めてゐるのではないかと思ふ。

 ややこしい根拠によつてではなく、あの奇妙な姿をした生きものを、喜んで食卓に乗せる地域が、さう広くなささうに感じられるからである。

 煮て焼いて、塩藏にお刺身にして、早鮓の種にして、下足は干し、身は細切りにして啜りこみ、腹に糯米だのを詰めて蒸すまでして、身贔屓を云ふ積りはないけれども、烏賊に対して、サディスティックな愛情を注ぎ、叉注ぎ續けるのは、日本列島の住人くらゐではないかと云ひたくなる。

 ご多分に洩れず、私も烏賊は好物だし、烏賊フライだつて勿論、例外ではない。が、どうも、それを口に出すのは、躊躇はれる気分がある。牡蠣や鯵や鮭や鯖だつたら、そんな気分は感じないのに。

 

 思ふに、烏賊と西洋料理は相性が惡い、と受け取られてゐまいか。小芋と煮ころがしても、鶏肉や青菜と炒めても、舌に浮ぶのは、醤油や味醂や豆板醤で、バタだのクリームだのの味はひは出てこない。パエリヤの名前を出すのが精いつぱいなのは、情けないとして、代表的な西洋烏賊料理を挙げるのは、我が食慾旺盛にして賢明なる讀者諸嬢諸氏にだつて、きつと六つかしからう。

 話が広がりすぎてきた。要するに烏賊フライは、日本人好みの魚介と、西洋料理の手法の合体であつた。ビーフやポークやチキンのカットレットとは異なる出自…思ひきつて、闖入者と云つてもいい。烏賊が天麩羅の種に採用されたのと、どちらが先なのかとも思ふ。『近世近代日本の揚げもの史』といふ本があるのかどうかは知らないが、フライと天麩羅の種の変遷は、興味のある話題にちがひない。

 その辺りは揚げもの愛好家の研究に任せることとして(熱心な方、待つてゐますよ)、酒席を烏賊尽しで飾るなら、烏賊フライには、前半の主役を張つてもらひたい。

 「ウスターソースをどつぷりかけ、頬張りながら、麦酒(或は焼酎ハイ)を樂みたい」

などと云つたら、食通か烏賊マニヤからはきつと

 「丸太はなにも解つてゐない」

と非難されさうだけれど、烏賊尽しだつたら、ごく新鮮なのをお刺身でやつつけたり、青梗菜と一緒に、牡蠣醤油で素早く炒めたのを、摘んだりも出來るんだから、フライはこつちの好き…サディスティックに、味はつたつて、いいでせう。

 

 序でながら、烏賊に限らず、淡泊な種のフライものに、ウスターソースを使ふなら、三滴ほどの、チリーソースを隠すのがいい。分らない程度に入れるのがこつで、奥行きが深くなる。