大坂…近畿圏では、素饂飩と呼ぶのです。
蕎麦のかけに対応する呼び方と受けとつて、まあ間違ひではないでせう。青葱を散らすだけ-画像のやうな-が、一ばん簡素ですが、蒲鉾が一切れ、二切れ入ることもあります。これくらゐだつたら、おやつでせうか。
ここに、とろろ昆布をひと刷毛させたり、刻んだ油揚げや半熟玉子や梅干しを乗せ、紅生姜の天麩羅だの、甘辛く炊いた牛肉だのを奢つて、全部を纏めるわけではありませんが、それで饂飩が食事に近寄るわけですね。
素饂飩を冷たくすると、話は丸で異なります。青葱は共通するとして、削り節に叩き梅、胡麻と生姜が精々でせうか。蒸し暑いのにうんざりして、空腹を感じられない時、喉をとほすのが、主な目的になるからでせう。
かう書くと、我がすすどい讀者諸嬢諸氏から
「丸太は饂飩を、熱いのと冷たいので区別がある、と考へてゐるらしい」
と指摘されさうです。まつたくその通り。
私にとつての饂飩は先づ、熱い食べものでした。たいへん病弱で、月に一度は熱を發した少年の、病み上りに出されたのは、鰈の煮つけと熱い…正確には温かい…素饂飩(或はにうめん)だつたのが、きつと大きいのです。
以前の稿でも何度か、触れた筈ですが、食べものへの態度といふか、向き合ひ方といふかの規範は、少年叉は少女の頃にほぼ、完成するやうに思へます。それはたとへば、醤油はキッコーマン、マヨネィーズはキユーピー、ウスターソースはブルドック、ケチャップはカゴメ、ぽん酢はミツカンといつた銘柄、肉じやがには馬鈴薯と牛肉と玉葱と人参を使ふとか、ポテトサラドなら、馬鈴薯は丹念に潰し、ハムと炒めた玉葱と薄切りの人参と酸みのつよい林檎で仕立てるとか、具体的且つ即物的な規範で、病み上りの少年が、鰈と素饂飩を食べたのも、或はそのひとつだつたでせう。であれば、饂飩の熱冷を区別し、今に到つても熱い素饂飩を好むのは、(私にしてみれば)不思議ではないのです…さう開き直つたところで、許してもらへるかも知れないと思へるのです。