江戸期のおそらく中頃まで、醸造業は関西…上方が主に担つてゐた。灘と伏見の名前を挙げればいいでせう。
当時のお酒は四季造りと云つて、年中、醸してゐた。醸つて出荷して、叉醸つての繰返し。その中で、冬に醸したのが一ばん美味いことになり、お酒造りは現代に繋がつてゆく。
そこで我われは、不思議に思はなくてはならない。
「どうして年中、醸し續けてゐたんだらう」
我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には御存知のとほり、温度の変化に殊のほか敏感なのが、お酒醸りのしごとである。現代のやうに、病的な繊細さは求められなかつたとしても、その辺りに杜氏がにぶかつたとは思へない。
酒藏の規模が小さく、呑み助の需めに対して、供給が追ひつかなかつたのか。灘や伏見が名郷と云つたつて、一ぺんに仕込める量は、たかが知れた筈だもの、醸り續け、賣り捌き續けないと、商賣にならなかつたのかも知れない。
尤も令和の今、八王子に、四季造の藏があるか出來たかといふ。呑んでゐないから、そつちの論評は控へるが、現代の技術でどこまで醸れるか、試してみたくはある。
さういふ例外はさて措き、一体に日本酒は、葡萄酒やヰスキィ、泡盛のやうに、"寝かす"ことに甚だ冷淡なのは事實である。まあ冷淡ではなく、単に四季造りだから、備蓄に就ての心配をせず、済んだだけかも知れないけれど。
それで澤乃井の銘にある[藏守]を思ひだした。あすこには少量の妙なお酒を醸る癖があつて、この銘は"寝かし"を前提にしてゐる。我われが思ふ日本酒からはほど遠い、上出來の紹興酒を聯想させる琥珀いろと香りが、記憶に残つてゐる。正直に云つて、私の口には適はなかつた。ただ一面で
「さういふ癖のつよい醸りも出來るのが、澤乃井の面白さ」
なのだなと見立てても、誤りにはならない。尤も私の好みには適はないとは、改めて白状はしておく。第一、何を肴にすればいいのか、見当がつかない。さう考へるに、江戸期にも"寝かし"たお酒はあつたが、呑み助がそれを含んで
「いつ呑んで、何を喰へばいいか、判らん」
首を振りつつ呟いた情景を、想像したくなる。酒肴といふ言葉が示すとほり、お酒と肴は不二の関係にある。醸したてに焼き魚と芋の煮ころがしの組合せを喜んだ舌に、いきなり枯れつくし、叉お酒から半歩一歩、離れ(てしまつ)た液体を乗せても、困惑するしかなかつたにちがひない。
さういふのとは異なる、併し癖…乃至個性をはつきり感じられるのが、やつとこの話になつて、澤乃井の新酒である。この藏の新酒は、搾つてから、濾過をしたのとしないのがあつて、後者(澤乃井ではこちらを"一番汲み"と呼んでゐる)の方が樂めるのは、云ふまでもない。搾つただけで何もしてないから、壜に詰められても醗酵は續いてゐる。微發泡と云へばいいのか、舌触りが獨独で、落ち着きがない。
「やんちややねエ」
さう笑つてゐた…以前は。と過去形なのは、近年の"一番汲み"が、随分と穏やかになつてゐるからで、私の印象…記憶で云ふと、社長の代替り以降、その傾向がはつきりしてきたと思ふ。實際に仕込んでゆくのが、杜氏の役目なのは判るが、大きな矢印を示すのは、藏の一等豪いひと…社長であらう。話を"一番汲み"に限れば、落ち着いて穏やかより、少々乱暴なくらゐの方が、私の好みではあるけれど、好みに適ふかどうかと、旨いまづいは別の話である。
それにここ数年の、穏やかになつた"一番汲み"では、栓をあけた後、室温で一晩置くと、香りや舌触りや喉越しが、花を咲かせるやうに変つた…ことが、少からずあつた。"やんちや"な醸りの頃の翌朝は、派手やかから多少、大人びた風情になつた記憶がある。これは濾過を経ず、火入れもしないお酒だから味はへる樂みで、この稿を公にした十日後、それが目の前にやつてくる、筈である。