ピーマンは植物の分類上、唐辛子の一族なのだといふ。
唐辛子が我が國にもたらされたのは十六世紀頃、甘みのある品種は十九世紀初頭までに、栽培されてゐたらしい。但し当時の呼び方は蕃椒。
ピーマンといふ名前は、フランス語の “piment(ピマン)"、或はポルトガル語の “pimento(ピメント)"に因むらしい。その名で日本に届いたのは、明治に入つてから。我われの食卓に馴染みを見せだしたのは、昭和卅年代半ば以降まで待たねばならない。
詰り(肉入り)野菜炒めに喜ばしいあの彩りは、精々六十年余の歴史だと見てよく、案外と短い。青椒肉絲の普及(ピーマンに青椒の字があてられてゐるのだの思ふ)と、関連があるのだらうか。あれは確かにうまい。ごはんに似合ふ点で云へば、回鍋肉と共に双璧をなすと思ふ。両者のハーフ&ハーフ定食があつたら、きつと人気になるだらうに。
ピーマンに戻りますよ。
最初は藥用乃至鑑賞用だつたといふ。眺めて樂めたのかどうか。待てよこれは、(赤)唐辛子だつたかも知れない。唐辛子の赤なら、横目で眺めつつ、湯飲みに注いだお酒の、惡くない肴になるだらうけれど、いや肴になるなら、それがお蕎麦もつ煮に振りかけてうまい…さう気付く前でなくてはならず、即ち今さらもう遅い。
ピーマン名義で入つた時、食用の野菜扱ひだつたのは、云ふまでもなく、併し中々広がらなかつたらしい。当時のピーマンはきつと、今より青臭さや苦みがきつかつたにちがひないから、俎上に乗せたまではいいが
(どう料ればいいものか)
庖丁を持つたまま、首を捻つたひとも、少くなかつたらう。火を入れれば、あの癖は抑へられるけれど、ぢやあ何の為にピーマンを使ふのか、と疑念が浮ぶ。
それが今、さうでもなくなつた…青椒肉絲は勿論、細く刻んでサラドだのしらす干しだのと混ぜられるまで到つた背景として、ひとつには品質の改良が考へられる。要するに食べ易くなつた。もうひとつ、我われが考へる食べものの幅が、広くなつたことも挙げておきたい。和洋中を満遍なく味はへるのは、現代の食卓酒席の特典なんである。
お品書きには"肉味噌ピーマン"とある。
そのピーマンは、見てのとほり生で供される。フランスのpimentや、ポルトガルのpimentoで、かういふ扱ひ方をするのだらうか。何となくで云ふと、火を通すのが大原則のやうに思はれるんだが、残念ながら確める術がない。
(矢張り)見てのとほり、半分に割つたピーマンを小鉢代りに、味噌で和へた挽き肉(刻んだ椎茸も入つてゐる)を詰めてある。その肉味噌を摘み、焼酎ハイをやつつければ、串焼きやフライを待つのに具合がいい。肉味噌をあらかた平らげたら、小鉢…訂正、ピーマンと一緒に噛み砕くのも、歯触りの快さが嬉しい。肉味噌の甘みが、ピーマンの癖に似合ふ。