閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1161 春雨で上機嫌

 過日の夜、ちよつとした切つ掛けがあつて、某所の某立呑屋に足を運んだ。建てつけの惡い引戸を、ごとごとさして入つたら、お店を仕切るお姐さんと、顔を知る定聯さんがこつちを見て、おやまあ

 「久しぶりぢやあ、ありませんか」

さう聲を掛けてくれた。何ヵ月か、顔を出してゐないのに、覚えてもらつてゐるものだなあ。

 出入り口に近い隅つこ…いつもの居場所が空いてゐた。そこに陣取つて、紅茶ハイを頼んだ。この店は、カウンタには幾つも大鉢を並べ、そこから三品、お摘みを撰ぶ仕組み。考へを暫し巡らせ、蛸の唐揚げに揚げ鶏皮、それから春雨のすき煮風を組合せた。二種の揚げもので、紅茶ハイをやつつけてから、お代りに進まうといふ算段である。

 鶏皮は正直なところ、感心しなかつた。鉢盛り向けのお摘みではないから、その分は差引きしてもいいか。うつすら、ぽん酢を振つた蛸は、中々宜しい。

 足元の冷藏庫を覗いたら、[上喜元]の壜が目に入つた。好もしい印象の残る銘柄なので、春雨にあはさうと決め、お姐さんに、こいつをもらひますねと聲を掛けた。

 この店では自分で注ぐ。コッブのすりきりまで[上喜元]を満たし、口で迎へにいつた。かろやかな舌触りが快い。確かにかういふ味はひだつたな。思ひだしつつ春雨を摘むと、東京風の色濃い甘辛さに適つたから、嬉しくなつた。一ぱいをゆるゆると樂んで、御勘定にした。

 

 上喜元で上機嫌な夜だなと、駄洒落が浮んだのは、ここだけの話ですよ。