閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1166 忘れ難い試合の話

 

 平成十五年彌生朔日。

 日本武道館

 プロレスリング・ノアGHCヘビー級選手権。

 王者 三沢光晴対挑戰者 小橋建太

 

 結果を先に云ふと、小橋がGHC初挑戰で戴冠した。この試合を切つ掛けにかれは、"絶対王者"と呼ばれることになる。

 凄い対決だつた。

 序盤は王者の技巧が、挑戰者が誇る、桁外れの力を封じ込める。三沢は既に全盛期を過ぎ、緩かな下り坂に掛つてゐた時期と思ふが、衰へたわけではなく、寧ろ膨大な経験で身体を動かせてゐた。器用ではない…いや有り体に、不器用な小橋にとつて、おそろしく厄介な相手だつたにちがひない。

 場外戰を経て、動いた試合は、花道での叩き合ひの中、三沢が小橋に、タイガー・スープレックスを仕掛けるといふ、とんでもない展開に到る。正確には花道から場外の床へ、投げ捨てたので、ノアの烈しい試合は、それまでにもあつたけれど、これは異例とも云つていい仕掛けだつた。

 

 いや異例ではなく、異様な仕掛けと見た方が正しいか。

 身も蓋もなく云ふなら、プロレスは興業…エンタテインメントである。互ひの技倆を見極めつつ、限度から半歩、はみ出せるかどうか、線引きもしつつ、技を仕掛け叉受け、次の試合に繋げなくてはならない。さうでなければ、興業じたいが成り立たなくなつてしまふ。

 さう考へた時、花道から場外へのタイガー・スープレックスは、投げられた小橋は勿論、投げた三沢にも危険きはまりない判断だつたと理解出來る。観客は静まり…観客だけでなく、解説席に坐つてゐた高山善廣すら一瞬、言葉を失つたくらゐだつたと、間接的な證拠に挙げておかう。

 その異様な展開から、最後には劇的なバーニング・ハンマーで、小橋が勝利を収めたのだから、これで観客が熱狂しなければ、嘘といふものだ。映像で観ただけの私ですら、さうだつたんだもの。

 

 その点は認めながら、併し冷静な頭と目で、改めてこの試合を見ると

 「プロレスラー、プロレスの団体としては、やつちやあいけない一戰」

だつたのではないか、と思はれてならない。平成十五年、即ちこの試合の時点で、未來が判らないのは当然である。だから当時の私は、ノアてえのは、凄え試合をするもんだ、と無邪気に喜んだものだが、今となつてはさうも云ひにくい。

 妙な云ひ方をすると、厳しく烈しい技の仕掛け合ひは、唐辛子を多用した料理と同じで、(客)客はその刺戟に直ぐに馴れてしまふ。後はエスカレイトさせるしか道はない。全日本プロレスの"四天王次代"末期に始つたこの傾向は、翌年の東京ドームでの、王者小橋対挑戰者秋山準でおそらく頂点に達し、三沢の悲劇にまで繋がつてゆく。

 

 後年を知つてからのこの一戰、複雑な気持ちで観るなと云ふのは、私にとつて不可能に等しい。