閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1167 忘れ難い試合の話

 平成十三年長月廿六日

 大阪ドーム

 大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブ

 

 野球の試合で何がドラマチックかと云つて

 シーズンの最終戰

 九回裏二死からの

 代打逆転満塁サヨナラ釣錢無し優勝決定

 本塁打に尽きるのではなからうか。

 匹敵するとしたら、初回の先頭打者本塁打の隅イチを守りきつた完全試合での優勝くらゐかと思はれるが、こつちは『ドカベン』の一年夏、神奈川大會決勝戰で、明訓高校の里中が、雲竜を擁する東海高校を相手に成し遂げてゐる。

 

 現實に戻りませう。

 ああ、念の為に云ふ。この当時のパシフィック・リーグには、東北楽天ゴールデンイーグルスは未だ、存在してゐなかつた。まさかこの後、近鉄と阪急(ブレーブスブルーウェーブの前身球団である)が、合併するとは思はなかつた。

 北川博敏といふ撰手がゐた。昭和四十七年生れ。平成七年に阪神タイガース入団。バファローズに移籍したのが平成十三年。平成廿四年引退。現役期間の長さから、プロ野球の世界で通用する力があつたと云つていい。

 併し本人には失礼ながら、そこまで印象深い撰手ではなかつた…いやこれは間違ひで、かれがブルーウェーブ相手にかつ飛ばした一發が、あまりに強烈で、他の實積成績が霞んでしまつてゐる。

 

 シーズン最終戰、二対五で負けてゐたバファローズが、九回裏、無死から二聯打と四球で満塁の機會を作つて、代打に送つたのが北川だつた。因みに云ふ。この時の監督は梨田昌孝。ヘッドコーチ的な立ち位置を、真弓明信が務めてゐた。

 まあ綺麗な本塁打だつた。

 変な気負ひも、肩肘のちからも感じられない、それで打つた途端、間違ひなく本塁打と判る当り。一塁に到達する前から帽子を投げ捨て、飛び跳ねてゐたから、本人も振り切つて直ぐ、入ると判つたのだらう。打球は實際、二階に達し、観客の昂奮は天井を突き破つた。

 確かに漫画であつた。シーズン無敗で日本一まで駆け上つた田中将大や、五十本塁打と五十盗塁を同時に達成させ、ワールドシリーズまで制した大谷翔平も大概、漫画だつたけれど、それは一年かけての"長期連載"であつて、北川の本塁打は"讀み切り"とは決定的にちがふ。

 

 それで私は、映画の『メジャーリーグ』を思ひだす。

 身賣りの危機に瀕したインディアンスが、惡辣なオウナーを見返し勝利を掴む筋立ては、莫迦ばかしいほど単純。アメリカにしか作れない、實によく出來た野球映画と。ただかういふ映画なら、最後は敗戰で終るのが本來である。打ちひしがれるのではなく、その敗北を糧に、次の勝利に向つて立ち上がる姿が、我われを喜ばせるのに、勿体無いなあ。

 尤もこれには理由があつた。監督がインディアンスのファンで、撮影の当時、アメリカンリーグの弱小球団だつたチームを、勝利のラストシーンで飾りたくて、我慢出來なかつたといふ。この話を聞いた時は、なんて愉快な公私混同だと、大笑ひした。現場のスタッフも、その気持ちは判ると笑つたにちがひない。

 さう考へたら、この年のバファローズは、『メジャーリーグ』で描かれたインディアンスより、映画的だつた。ヤクルトスワローズを相手にした日本シリーズでは、一勝四敗で敗れ去つた。更に四年後、この試合で勝つたブルーウェーブに吸収される。詰り大阪近鉄バファローズ名で、最後のリーグ優勝だつたことになる。

 

 因みに云ふ。バファローズは(大阪)近鉄として遂に、日本一になれなかつた。