平成廿七年長月十九日。
イングランド、ブライトン・コミュニティスタジアム。
日本代表対南アフリカ代表。
ラグビーに限らず、格下と見られてゐたチームが、強豪を打ち倒した、"ジャイアント・キリング"を撰ぶとしたら、この試合は何の疑念もなく、トップ・スリーに入る。日本代表の世界ランクは当時十三位。対する南アフリカは当時三位。然も南アフリカが過去二回、優勝してゐるのに、日本は過去一勝であつた。
どこからどう見ても、日本に勝ちみはない。
得失点差は、どのくらゐに収まるだらうか。
打ち割つたところ、試合前の期待…訂正、興味はその辺りだつたのではないか。私は殆ど関心を抱けなかつたと、ここで白状しておかう。だから改めて試合を観直す機會を得て、一驚を喫したとも、併せて云ひそへたい。
とは云へ試合の前半は、力強く巧妙で、そして洗練された南アフリカが、常に優位に立ち、日本が追ひ縋る展開が續いたと思へたし、その粘りは大したものだとも思つた。この時点で、日本代表が勝つとは考へてゐなかつた私からすると、これは褒め言葉である。その積りであつた。
云ふまでもなく、この"褒め言葉の積り"は、大まちがひだつた。押されに押され、凌ぎに凌いだ日本代表が、最後の最後にスクラムを撰んで、勝ちを獲つたのだから。
あの場面、ヘッドコーチだつたエディ・ジョーンズは、安全…引分けに持ち込めることを優先し、ペナルティゴールの撰択を指示してゐたといふ。スクラムからの逆転に賭けたのは、フィールドの撰手…当時のキャプテン、リーチマイケルの判断。公式の動画では確認出來ないが、スクラムを撰んだのを確認したエディは、ヘッドセットを投げ捨ててゐる。
すりやあ、さうだらうさ。
ペナルティゴール狙ひだつたら、勝てはしなくても、敗けの確率はぐつとひくくなる。格上も格上の南アフリカを相手に、ドローに持ち込めば、勝ちに準じるくらゐの値うちぢやあないか。私でも勝てなくても敗けない方策を撰ぶ。ヘッドコーチである以上、当然の判断でせう。併しフィールドの判断は、勝ちにゆくの一点で纏つてゐた。
矢張り非公式だが、カーディフのスポーツバー(だと思ふ)で、最後のトライが決つた瞬間の映像を目にしたのを思ひだした。ウェールズ人がこぞつてJapanと叫び續けた姿(スタジアムの喚聲も異様に響いてゐた)は、そのJapanのひとりとして、気耻かしさを感じた。一方でバーのお客聯は、JPNがRSAに勝てる筈がない、と信じきつてゐたのだとも判つて、この驚愕は私と同じだと思つた。
あの熱狂まで、同じではなかつたけれども。
"ブライトン・ミラクル"とまで呼ばれたこの試合に就て、当時の副主将、五郎丸歩は
「ラグビーに奇跡はない」
と胸を張つた。ラガーマン…いや、スボーツマンの誇り高さとは、かういふ態度を云ふのだらう。その四年後、南アフリカ代表は、我らが日本代表を相手に、鮮やかな勝利を収めた。これも叉、誇り高さの顕れである。