閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1174 忘れ難い試合の話

 令和六年長月三日

 後楽園ホール、TAKAYAMANIA EMPIRE 3、特別試合。

 鈴木みのる高山善廣

 

 これを試合と呼んでいいのか、と呟くひとは、プロレスの少くとも一面を理解してゐない。

 大怪我で首から下が動かなくなつた高山善廣が、車椅子に乗せられ、事故以來、實に七年四ヶ月ぶりに、リングへと上がる。既にプロレスである。

 "帝王"と呼ばれた男の対角に立つのが鈴木みのる。鈴木のスタイルは正直なところ、にがてなのだけれど、高山の相手にかれ以上のプロレスラーはゐない。

 

 立つてこい、かかつてこいと、鈴木が煽りたてる。

 高山の巨きな体が、前に出るべく、わづかに動く。

 併し、立てない。どうしても立てない。

 当り前である。麻痺した体が、煽られただけで急に、動きだして、たまるものか…と云ふひとも矢張り、プロレスの少くとも一面を理解してゐない。

 後楽園のリングに高山がゐて、鈴木が対峙して、これをプロレス以外に何と呼べばいいのだらう。車椅子から動けない高山に、鈴木が云ふ。

 

 この勝負、てめえが戻つてくるまで、預けておいてやる。

 悔しかつたら立つて、おれの顔を蹴り飛ばしてみやがれ。

 

 なんて見事な挑發とエール。

 更に云へばこの試合は"時間無制限一本勝負"だつた。詰り決着はついてゐない。未完結であり、この時間は併し成り立ちもしてゐる。ボクシングや空手や柔道は勿論、プロレスに最も近しい大相撲でも、考へられない展開と云つていい。そしてこの"区切り"は、來るべき

 『高山善廣鈴木みのる

へと直接、繋つてゆく。好まない云ひ方を敢て使ふと、これはプロレスとプロレスラーの未完の物語であり、未完の物語には、そこにしか存在出來ない希望が満ちてゐる。