西へ上る前に、令和七年の手帖を贖つた。例によつて、高橋書店。今回は赤い帆布のブックカヴァも一緒に贖つた。タグにはLA VELAとあるから、さういふブランドなのだらう。高橋書店のラパーが今ひとつ、好みに適はない色みだつたから、使はうと思つたが、いざ着せると、どうもしつくりこない。がつかりした。試しにスマートフォンを挟んだ。惡くない程度に収つた。がつかりしつぱなしに、ならずに済んだ。
日を改めて、東海道新幹線の切符も贖つた。目論見を少し変更し、師走の廿三日は月曜日、東京驛午后一時半發の第卅七のぞみ號を撰んだ。新大阪驛着到は午后四時。指定席の代金込みで、一万四千円余りは、"居酒屋 こだま號"で使つてゐた、"ぷらっとこだま"に較べると、四千円ほど高いが、これは寧ろ、"ぷらっとこだま"が廉なのだ。尤も差額の分、"居酒屋代"は嵩んだけれども。
併しかう決めてしまつたのは、好もしくない。これである程度、前日当日の予定が絞られる。先の日の自分に手足を握られたやうな気分になつた。一方これで、当日の券賣機を前に、指定席が取れなくて困る心配はなくなる。何事にも長所短所はあるものだ。
なんとも落ち着かない。
手帖を贖ひ、切符も手にして、GRⅢを持ち帰るのも含め、例年になく早々と、大体の準備が揃つた。心持ちに余裕が出來るのだから、喜ばうと思ふ。思ひはしながら、すかすかな感じがされなくもない。年末に向けては、もつと慌ただしくなる筈、と考へてゐる所為なのだらう、と思ふ。
要するに落ち着かない。
期限ぎりぎりまで追ひつめられ、やうやく腰を上げるのが私の惡癖であつて、その習慣に馴染むと、余裕がかへつて負担になる。いやここは"なりかねない"、とクッションをひとつ、入れておく。取敢ず廿二日、ことに夜は呑みすぎてはならんと、今から我が身に云ひ聞かせることにする。
ところで大坂には、旧い友人のエヌといふ男がゐる。中學二年生の頃からと思ふと、四十年くらゐのつき合ひ。ニューナンブのつき合ひが、源流まで遡つても、今世紀に入つてからだから、密度は兎も角、長さは及ばない。そのエヌとは西上の際、年末のどこかで一献、酌み交はすのが慣はしになつてゐる。昨令和五年までは、兵庫の山奥に単身赴任だつたが、今年の春辺り、自宅に戻つてゐる。だから、会ひ叉呑むのに負担が少く済む。
切符を贖つて、西上の日が決つたから、エヌに知らせた。別にそれで、いつにすると決めはしない。あの男は(私とは異なつて)眞つ当な會社人である。私のやうな長い休暇を取れるわけではない。従つて先に知らせておけば、予定の擦り合せがし易くなる。さういふ理由である。どうです、合理的な判断でせう。エヌからは、まあ先づ、無事に帰つてこいと返事があつた。まことに尤もと云ふ他にない。
かういふ経緯があつて、廿三日を迎へることになつた。