閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1182 西の都の丸太花道

 令和六年師走の廿七日は金曜日である。とは云へ廿三日の西上からこつち、何曜日であつても大してちがはない。私にとつては、だけれど。

 廿三日から廿七日の間にしたのは、廿五日の散髪くらゐである。町中、家の近所にある理髪店…中學生の頃からお世話になつてゐる…へ、何年振りかで足を運んだ。元々は夫婦で営んでゐたが、親仁さんは随分と前、西方浄土に店を出したので、今は奥さんひとりで遣りくりをしてゐる。扉を開けたらこつちを見て

 「お兄ちやん、久しぶりやねエ」

と聲を掛けてくれたから、嬉しくなつた。無沙汰ですンません。さう応じたが、普段は東都に住む身としては、散髪のたびに東海道新幹線で往復するわけにもゆかない。バリカンを当ててもらひ、顔剃りとシャンプーもあはせて二千五百円。よいお年をと挨拶して、店を出た。

 さうだ。バリカンだけでなく、持ち帰つた高橋書店の令和七年版リシェルの用意も始めたのだつた。要するにこの時点で判つてゐる予定の書き込みで、これが案外と面倒である。

 年間の予定。

 月間は見開き。

 週間の両面。

 一応ではあつても、會社人としての立場がある(らしい)私だから、私人の部分とは使ひわけたい。一方ばつさり切り分けると、私用が仕事と被りかねず(優先されるのが私用なのは改めるまでもない)、それはそれでこまる。令和六年内に大まかな方向を決め、實際の利用に繋げてゆかう。

 ニューナンブの頴娃君から聯絡がまはつてきた。顔を合せること能はなかつた令和六年の末、オンラインで酒席を設けないかといふ提案。全員が集る機會に恵まれなかつた一年だつたから、オンライン酒がにがてな私も、否やを云ふ理由はない。クロスロードG君もS鰰氏も賛意を示し、廿九日に催される運びとなつた。

 急いで手帖に書いた…と云へば嘘になる。これは日附けと曜日の関係に依る。私のリシェルは月曜日始り。令和七年元日は水曜日。前週末の廿九日は収つてゐない。なのでおまけに添へられたメモ帖へと記すに留めた。廿三日から大晦日までは、こつちを日記的に使ふ算段をしてゐる。大むかし…高校生から廿台の頭ころにかけてだもの、大むかしと呼んでよからう…大學ノートに日記をつけてゐたことを思ひだした。ある時、纏めて処分したから、何を記したか、確めるすべは残つてゐない。この場では幸ひと云つておきたい。

 

 それで話は廿七日になる。大坂の旧い友人であるエヌと游んだ。游ぶといつても、何か目的を持つて何処かへ行くのではない。無目的に歩いてから、麦酒を呑む半日をかう呼んでゐるだけのことで、その無目的、でなければ無目的の後の麦酒が目的と云つてもいい。短く無目的の目的としたら、それらしいといふか、恰好よささうな感じがされる。

 ただひとつ問題が残つてゐて、天満に我われに都合のいい呑み屋がある。共通する麦酒好き、エヌの蒸溜酒好きと私の醸造酒好きを満たしてくれるのだが、どうやら廿七日は入れさうにない。元々がライヴ會場を呑み屋に仕立て直したやうな店(奥に立派なステージを用意してゐる)だもの、文句を云ふ筋ではない。

 併し我われの気に入りはもう一軒ある。ドイツ風に片寄つてゐるが、うまい麦酒を呑ませるし、お摘みも中々によろしい。何より喫煙者である私にとつては、煙草を吹かせるのが有難い。エヌは煙草を喫はないが、こちらが喫ふ分に苦情を立てない男でもある。なので事前にさう云つておいた。序でに中之島美術館で歌川國芳展があるから、足を運びたいと附けくはへた。無目的を覆すみたいで気は引けたけれども。

 

 朝は曇つてゐると思つた。半時間ほど経つたら窓外がぐつと明るくなり、日ノ出の時刻が東都より遅いからだなと思ひなほした。牛乳を入れた珈琲とメロンパンをしたためてゐたら、エヌから聯絡があり、午前十一時に阪急京都線の淡路驛で落ちあつた。

 天下茶屋行きに乗り、天神橋筋六丁目驛で降りた。天神橋筋商店街を六丁目から一丁目まで歩いた。正午前から呑み屋が何軒も暖簾を出し、お客がいつぱい入つてゐる。大坂やなアと可笑しくなつた。天満宮に挨拶をして淀屋橋。珈琲ショップで晝ごはんの代りにホットドッグを一本。喫煙所を用意した文化的な店である。この間、喋り續けなのは云ふまでもなく、その喋りが無内容なのも叉、念を押すまでもない。

 一息つけたので、中之島美術館まで。陽はやはらかく照てゐるが、風がひどく冷たい。丸坊主の地肌には好もしくないなあと思つた。館内は勿論、十分に暖房が効いてゐる。安心して千八百円を払ひ、展示室に入つた。武者繪、大首繪、猫や雀の擬人化。刷りものだけでなく、僅かながら肉筆画(こつちは正直、今ひとつだつたが)まであつた。後で日程を見直すと、展示の入れ替へがあるさうで、どれだけ膨大な制作数なんだらうと、感心するより呆れてしまつた。観てゐて気になつたのは

 視線の向きが左右で微妙に異なつてゐること。

 様々の版画が複数の版元から出てゐるのはいいとして、題材と彫師と、どんな関係だつたのだらうといふこと。

 展示はおほむね題材を年代順にしてゐたが、仮に版元別に並べてゐたら、印象は丸で異なつたかも知れない。學藝員諸賢の頭に、さういふ發想が浮ばなかつたとは思はないが、實現さすのは六つかしいのか。

 「兎にも角にも」

 「満腹になツたな」

 大阪駅前ビル群を抜け、カメラ屋を二、三軒ほど冷かしてから、曾根崎の呑み屋…いやこの際だから名前を出すと、[ケラーヤマト]といふキリン系列のお店に潜り込んだ。週末であり、方々仕事納めの可能性が高からうと、早めに行つたのが奏功したものと思はれる。鶏のたたきとパリパリポテト。このたたきが中々よろしい。添へられた紅葉おろしを少しあはすと、麦酒に素晴しく適ふ。

 一ぱい目の残りが少くなつたあたりを見計らつて、愛らしい店員さんが

 「お代り、伺つときませうか」

聲をかけてきた。[ケラーヤマト]は麦酒を注ぐのに時間を要する。空になつてからだと間が出來てしまふから、気を遣つてくれたんである。我われに否やがないのは勿論である。あはせて鯣の天麩羅と牛蒡のサラド。ここの鯣天麩羅は何と云ふか、實にうまい。牛蒡はかろく振つた黑胡椒と、胡麻油の効かせ方が面白い。

 もう一品追加した餃子ソーセイジが出色。歯触りははつきりソーセイジなのに味はひは餃子で、頭のどこを叩けば、かういふ思ひつきが出るものか。エヌは麦酒の三杯目、私はドイツのリープフラウミルミ。ところでキリンには大ブランドのメルシャンがあるのに、品書きに見当らない。お摘みがドイツ寄りだからと考へたなら、一応は正しいけれど、萌黄のやうに柔らかな口当りの一本くらゐ、あつてもいいと思ふ。

 最後に"ふはふは"玉子焼きを頼んだら、ポットシチューみたいな器で出してきた。

 「中にソースがあつて、匙で崩しつつ食べるンかね」

と思つたら、底の底まで"ふはふは"玉子だつた。デザート風にも感じられる穏やかな甘みがある。綺麗に呑みほし、叉平らげて、御馳走さまを云つた。夜は早い。後から次々やつてきたお客たちが、賑やかに騒いでゐる。

 

 地元の驛まで戻つた。驛の北口から出ると、高架下にはコンビニエンス・ストアと喫茶店、二軒の呑み屋がある。その呑み屋の一軒が[口八丁]といつて、卅年くらゐ営業してゐると思ふが、一ぺんも入つたことがなかつた。

 「降りて直ぐ、雨でも濡れンで入れるからやろな」

見立ての一致を見てゐたからだが、それだけで卅十年余り営業を續けられるとも思ひにくい。時間も醉ひ具合にも余裕が残つてゐる。では一度、味見をしてみますかと電車内で話が纏つた。それで扉を開けるとたいへん賑か。どうやら繁盛してゐるらしい。我われの予測は外れたことになる。

 カウンタの空きに坐つた。私は麦酒。エヌはハイボール。蒸溜酒を"原液(エヌいはく)"で呑むのを好む男だが、品書きにはなかつたから、止む事を得ない。揚げ出し豆腐やエイヒレを摘んだ。惡くない。白板に書かれた品書きを見るに、他のお摘みもよささうであつて

 「一軒目は麦酒やらなんやらでかろくやつて」

 「ここに潜り込むンも、エエんとちがふか」

掌を引つ繰りかへしつつ、意見は一致した。あれこれ試したいところだが、今夜はそろそろ腹一杯に近づいてゐる。

 「次の機會はな」とエヌが不意に「中學校ンとこから、江口橋、相川を経由して、吹田まで歩いてみる、ちふのはどうかと思つとンね」

 すりやあ、面白い。と膝を打つて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には何がどう面白いのか、さつぱり判らないと思ふけれど、昭和の中學生だつた我われの游びの経路であつて、四十年余り後、令和の我われの目にどう映るものか。私にとつては、まことに興をそそられる提案で、判らないと云はれたつてこつちの知つたことではない。勘定を済ませ表に出た。風は冷たく、併しお腹の底には温い塊が沈んでゐる。コンビニエンス・ストアで罐珈琲を買ひ、飲みながら煙草を吹かし、互ひに一年生き延びたから、次の一年も生き延びるべしと云ひあつて、おやすみとした。充實した半日であつた。令和六年、後はニューナンブのオンライン酒席が待つてゐる。