物慾と云へば"必要のない物を慾しがる気持ち"だから、たとへばパーソナル・コンピュータやスマートフォン(買い替へになるのだが)は当てはまらない。あれは(残念ながら)使はざるを得ない物に過ぎない。
そんなら丸太にとつて、"必要はないけれど、慾しい物"は何かと云へば、矢張りといふか当然といふか、カメラとなつて、具体的に云ふなら、オリンパス…今はOMなんとかに社名が変つてゐるが、この稿ではオリンパスで通しますよ…のOM-5…正確に云ふなら、E-M5からの系列がそれにあたる。
念を押すと、令和七年も私の主力機が、リコーのGRⅢなのは揺るがない。マイクロフォーサーズを主力にしたのは前代で、併し現役は現役である。一方で如何せん、手持ちのボディがすべて(なんと四台)ふるい。云つておくと使ひものにはなる。マイクロフォーサーズ同士だつたら、併用しても平気でもある。ただGRⅢと共に最前線で使ふには無理がある。どうもそこが気に入らなく思へてきた。
気に入らなくなつたのははまあ、いいとしませう、
ではそこで、OM-5(系)が浮んだのは何故か。
ごく簡単に、一眼レフのやうな姿が好みなのはある。最初の一台がEOS(銀塩なのは勿論のこと)なのもあつて、あの尖つた頭が目に馴染んでゐる。だとすれば
「上位の"1"系、下位の"10"系だつて、一眼レフ的なスタイルではありませんか」
さう云ふひとが出さうだが、"1"はオリンパスと思へない巨きさが不恰好である。"10"は不恰好ではないにせよ、どうも惚れにくい姿をしてゐる。
「成る程詰り、"5"の系列は恰好いい…少くとも、不恰好ぢやあないのですね」
さう念を押されると併し、ちよつと困惑する。"5"系の初代機が發表された時、なんとも云ひにくい気分だつたのを覚えてゐる。私にとつて、OMの名前を冠した機種は、ペンタプリズム(相当の部分)をひくくおさへた、ごく小さな、そのくせマウントの開口部は不釣合ひに大きい姿だから、頭のやや膨らんだ初代機に、違和感があつたのだと思ふ。
因みに云ふ、初代…OM-D E-M5の發場は平成廿四年。實に十三年前に遡る。この機種は以降、幾つかの世代を経て、現在のOM-5に到つてゐる。干支ひとまはり余りといふ時間を考へれば、長續きはしてゐる。他に賣れる機種も、新しく造る体力の余裕も持合せないオリンパスの、苦肉の判断とするのは、身も蓋もない見立てか知ら。一方、求められる機能を整へてあるから、"5"系列は續いた…續いてゐる、と考へられもする。であれば信用してもよささうではないか。
(間違つた感想の可能性は大だなあ)
聲には出さず、呆れ顔でそれを示されさうな不安は感じる。感じはしつつ、"継續"がオリンパスを象徴する言葉だと思へば…銀塩時代のペンを思ひださう…、"5"系列は改めて物慾の対象になるのではなからうか。
「その理窟なら」と今度は聲に出して「"10"系だつて世代を重ねてゐるし、該当しさうに思はれますが」
指摘されても不思議ではない。確かに。同意はしながら、手持ちのレンズを存分に使ひ、もしかすると手に入れるかも知れない、ちよつと贅沢なレンズをあはすなら、ある程度の大きさは必要でせう、と腰ひくく反論しておかう。
尤も"5"系自体が今、私に必要かと云へば、断じてそんなことはない。"ねばならぬ"ではない物体だから、好き勝手を云ひ叉書いたつて、何といふこともない。實に気らくで、まつたく安心してゐる。