閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1186 令和七年の宿泊

 令和六年はまつたくと云つていいほど、泊つて呑まなかつた。時間とお財布の都合であつた。そもそもが出不精のたちなので、不平不満や苦痛の原因にはならなかつた。一方、何となく物足りない心持ちだつたのも事實で、令和七年はその辺りをどうとかしたいと思ふ。泊つて呑むだけが目的なら、いつでもどこでもかまふまい-先づはさう思ひ、すりやあ詰らないと思ひかへした。口實が慾しいと云ひかへてもいい。

 

 どこに行かうか知ら。

 口實は場所の見当をつけてから探さう。

 知つた土地の近場で云へば多摩があり、遠くに目を向ければ小田原や熱海、宇都宮があり、或は甲府がある。甲府から足を延ばせば、松本もある。

 どこを撰んでも、口實にはこまらない。併しひとりで行くのか、たれかと足を運ぶのかで事情は変る。この稿では前者で考へるのだが、さうなると候補は限られ、上に挙げた土地では、多摩か宇都宮に絞られる。

 多摩と宇都宮だつたら、宇都宮を撰びたい。宇都宮はもう何年も、行かうと思ひ、ホテルの予約までしたにも関らず、諸々の都合で足を運べずにゐる。かういふ背景は十分、口實に出來る。きはめて個人的な口實ではあるけれども。

 

 宇都宮に行くとしても、何かを見物する積りではない。

 土地としては兎も角、町の面から見れば、太平洋戰争を経た、非常に新しい都市であつて、市の中心部で歴史の面影を見つけるのは、六つかしからう。責めを町が負ふべきでないのは、勿論のことである。

 十年近く前、一度だけ訪ねた。餃子を食べたいと思つたからで、前日だか当日だか、ホテルが取れたのを幸ひ、ふらふら出掛けた。

 なんにも考へず、下調べも無しに行つて、ホテルまでの間で目についた餃子屋を三軒か四軒、食べ歩いた。ホテルで少し眠つた後、オリオン通りの近くにある屋台村まで向つた。屋台村と云つても、屋台のやうに小さな呑み屋が犇めいてゐて、その一軒に入り込んで呑んだ鳳凰美田が、えらく美味かつた。別の店で食べた百合根のカレー粉炒めも矢張りうまかつた。詰り佳い印象がつよく残るのが宇都宮-正確にはオリオン通り近くの屋台村-で、さういふ場所を改めて訪ねたいと思ふのは、私にすれば、なだらかな感情である。

 

 旧國鐵宇都宮驛は新幹線が停車する立派な造りだつたが、驛前には背の高い建物が少く、空がぽかんとしてゐたのを覚えてゐる。今もさうなのだらうか。