閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1189 丸太花道、東へ

 ながい休みは終つた。

 遺憾ながら、東へ下らねばならない。仕事がある。働きたくはないが、働かないと呑めなくなる。ゆゑに下る。そのロジックは解るが、気分としては納得し難い。気分だから、これ以上ロジカルな説明は出來ないのは、止む事を得ない。
 新大阪驛から東海道新幹線に乗る。西上の時とはちがひ、事前に切符は買つてゐない。買はずとも平気だらうといふ讀みである。但し東京驛まで行く山陽新幹線の便がある。同じ乗るなら始發が望ましい。
 のぞみ號かひかり號に乗る。時刻表を確めると、午后一時台、二時台あはせて、十本ほどあつた。一ばん早い便なら午后四時前、遅くても午后五時半前には東京驛に着到する。どれに乗つても、翌日以降に支障はない。安心した。

 その東下り新幹線で、何を食べませうか。どうせ短い時間だもの、呑むのは罐麦酒が二本くらゐか。大坂の家で晝めしを摂る(もしかして麦酒も呑む)ことを考へれば、お辨當は食べきれまい。併しお摘みなしで罐麦酒は呑みたくない。
 -裂き烏賊だのピーナツだのでかまふまいか。
 妥協的に考へ(併し文字通りの意味で無難でもある)、新大阪驛の構内で、ビーフ・サンドウィッチが賣つてあるのを思ひだした。買つたこともあつた。丸々一人前はちと多いが、ハーフサイズもあつた筈である。
 -これがよろしからう。
 店が撤退してゐないかどうかは気掛りだけれど、敢て確めるのは避けた。撤退してゐなくても、賣りきれの可能性はあるのだし、その日の気分や腹具合に依りもする。今のところは、有力な候補に留めおく方がいい。

 寄せ鍋を作つてもらつた。出来合ひの鍋つゆをどうかした(してゐないかも知れない)のに
 白菜や長葱。
 豆腐。
 削いだ人参。
 しめぢ(漢字では占地、或は湿地と書くさうだ。知らなかつたなあ)
 豚肉。
 鶏肉団子。
 春雨。
 鰤のお刺身。
 餃子。
なぞを入れ、味つけぽん酢と辛生姜で食べる。旨いかどうかは別にして、口に馴染んだ味はうまい。
 キリンの晴れ風と日本盛を呑んだ。父親は数年前からアルコールを摂らなくなつた。母親は口を湿す程度に呑む。きゆうきゆう呑むのは不祥の伜だけで、傍から見ると、まこと親不孝な光景に映るだらう。

 普段、とは東都での平日の意味で云ふのだが、その普段と同じくらゐの時刻に目を覚ました。ひどく寒い。ラヂオを聴きながら珈琲(と云つてもネスカフェである)を一杯。それから朝めし代りにブルボンのルマンド
 天気予報を見た。日本海側から東北に掛けて、豪い雪が降つてゐるらしい。雪は窓から眺める分には結構なんだが、移動が絡むと實に厄介となる。東海道新幹線の場合、滋賀を抜けて岐阜、名古屋辺りが雪の地域になる。
 それで今度は、新幹線の運行情報を確めた。山陽新幹線も含め、全線でがつちり、遅延してゐる。乗つた列車が遅れるのは仕方ないが、判つてゐて乗りたくはない。前夜の寄せ鍋つゆで煮いた中華そばを啜りつつ、さう考へた。
 もう一遍、運行情報を確めた。
 東下は一日延ばすことにした。
 窓の外はずつしり曇つてゐる。
 翌朝はすつかり晴れた。珈琲(矢張りネスカフェ)を喫し、着替へと荷物の整理をした。序でに溜つたひげもあたつた。電動シェイバーを使ひながら、クチヒゲとアゴヒゲとホホヒゲのヒゲはそれぞれ、漢字がちがふのを思ひだした。
 お晝にキリンの晴れ風、稲庭風饂飩(温泉玉子と辛生姜)、太巻きを三切れ平らげた。それから煙草を吹かし、家を出たら新大阪驛の喫煙所を経て、東京驛の喫煙所まで我慢せにやあならんと考へて、少々うんざりした。

 御佛壇に手をあはしてから、(嫌々ながら)外に出た。
 家が氏子になつてゐる神社にも手をあはした。祀られてゐるのは菅公だから、管轄外なのは判つてゐるが、ふた親を頼みますと云つた職掌の外でもきつと、他の神さまへの口利きくらゐ、してくださるだらう。
 阪急京都線に乗つて、梅田に出るかと考へ、考へてから、道に迷ひさうな不安を感じた。大阪メトロ御堂筋線に乗り継いで、新大阪驛へと動いた。第卅のぞみ號の指定席。東都へは下らざるを得ないから下るので、速い移動でよい。
 構内でビーフ・サンドウィッチを賣つてゐる店を見つけ、おれの記憶もまだいい加減ではないと思つた。併し有力な候補にしてゐたハーフサイズが無い。文句を云はうかと思つたが、無いものは出せまい。諦めてプラットホームに上つた。
 デリカステーションでスーパードライ黒ラベル、パストラミビーフ・サンドウィッチ、クラッツを買つた。少し待つと、我が第卅のぞみ號が入線してきたから乗り込んだ。停車驛は京都、名古屋、新横浜、品川の順である。

 ながい休みが終つた。