某年葉月某日。
明訓高校(神奈川) 対 弁慶高校(岩手)
数多い高校野球漫画の中で、最も有名な試合と云つても、異論は少からうと思ふ。前年夏、初出場初優勝を遂げ、翌年の春センバツも勝つた明訓が唯一度…正確には山田太郎在學中の、だけれど…敗けたのが、この弁慶高校戰だつた。
"山伏の育成"をするといふ實に奇妙な學校の九人は、県大會を勝ち抜き、甲子園球場まで徒歩でやつてきた。初戰は高犬飼小次郎監督の下、打倒明訓を旗印に、犬神了と犬飼武蔵を擁した土佐丸高校を打ち破る。驚いたね、これは。
尤も弁慶高校は、チームとしてバランスが取れてゐたとは云ひにくい。エースの義経光と四番を張る武蔵坊数馬の両輪が突出してゐただけで、ことに武蔵坊はどうも怪人めいた力を持つた男らしい。
土佐丸戰でライトを守つてゐた武蔵坊は、確實にスタンドインした筈の打球をねぢ曲げ、フライアウトにしたし、明訓戰前に倒れ、意識不明になつた岩鬼の母を、気合なのか何なのか、危険を脱させもした。
「山伏どの、ありがたうよ」
常に傲慢で叉自信に満ち溢れる男・岩鬼の辞を低くせしめたのは、後にも先にも武蔵坊くらゐではなかつたか知ら。
一方の義経は試合前日のインタヴューで、初球はど眞ン中のストレートを投げると云ひはなつた。放胆な發言に聞こえるけれど、一番打者の岩鬼は惡球打ちである。どう考へても空振りを取れるだらう。併しその發言を耳にした明訓の土井垣監督は、奇策を思ひつく。
「一番、山田。四番、岩鬼」
練習では、仮想義経となつた土井垣の投げた、百五十キロの速球を弾き返した山田である。最速百四十キロの義経なら打てることを見込んだ判断。とは云へ記憶にある限り、先發の打順で、山田がクリーンアップから外れたのは、この一度きりの筈で、土井垣は思ひきつた。
果して義経が投げた初球、ど眞ン中のストレートを、山田は本塁打にする。初回、明訓が先制。
が、そこからがいけない。山田太郎がスラッガーなのは、まつたくその通り。ただ鈍足といふ致命的な欠点があり、先頭に据ゑるタイプの打者ではない。四番岩鬼も、走者を返す打撃を出來るタイプではない。強打を誇る明訓の、常の流れが断ち切られてゐる。義経の挑發に乗つたのは、土井垣の判断ミスだつたか。
押しきれない明訓に対し、弁慶がじわりと追ひつき、同点で迎へた九回裏。走者は二塁に義経、一類に武蔵坊。ベンチ裏の観客席で試合を観てゐた犬飼小次郎が云ふ。
「これで延長だ。勝つたな」
「まだわからん」
応じた土井垣の表情にやや、安堵の色が伺へるのは、エース里中なら、この場を凌げる確信があつたからと思ふ。油断慢心と云ふのは酷だらう。
打球はダブルプレーにお誂へ向きのショートゴロ。小次郎の見立て通り、延長かと思つた時、セカンド殿馬の速い送球が、武蔵坊の眉間を叩いた。転がる球に気づいた義経は駿足を駆つて三塁を蹴る。小次郎が山田に本塁死守と叫ぶ。追ひついた殿馬のバックホームはストライク。山田の眼前で、義経が信じられない跳躍を見せた。
「義経跳んだ!八艘跳びだ!」
実況の驚愕の聲と共に、義経はホームイン。一二塁間で立ち尽した武蔵坊は、待つてゐたやうに倒れた。弁慶高校のサヨナラ勝ちである。敗北の後、土井垣は日本ハムファイターズに、小次郎は南海ホークスに入団する。
後年目にしたインタヴューの記憶を辿ると、作者の水島新司は、武蔵坊数馬といふキャラクタが浮んだ時
「明訓を倒すのは、こいつだ」
と確信したさうだ。確信した理由は解らない。水島御大本人だつて、説明出來ないだらう。併し實のところ、その辺りの事情は、どうだつていい。『ドカベン』から『大甲子園』へ續いた一聯のシリーズを見るに、リアリティに欠けることが大きいのに、説得力はおそろしくあつた。
ことに岩鬼正美といふ荒唐無稽にして天衣無縫…性格にしても、プレイヤーとしても…な男を、野球の複雑さに織り込んだのは、流石と手を拍つていい。さういふ男を擁するチームに勝つには、どうしたつて怪人めく男…武蔵坊が必要だつた。かういふ野球漫画…訂正、試合をまた観たいものだが、残念なことに御大は、天國の野球場に行つてしまつた。