遠山景元。
十八世紀末から十九世紀半ばのひと。
左衛門少尉。
四十六歳か四十七歳の時、江戸北町奉行に任ぜられる。三年後、大目付に転じ、更に二年後、南町奉行となる。
通称は金四郎…詰り"遠山の金さん"である。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏が御存知だらう名前だけでも、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、西郷輝彦が演じた。
遡れば金さんは映画でも人気のスターで、その中の一本がこの『いれずみ判官』である。主演は鶴田浩二。私の印象にある鶴田は、東映やくざ映画のひと(たとへば『人生劇場 飛車角』といふ傑作)だつたから、驚き叉興味をそそられた。
背景にあるのは、日光東照宮の改修に伴ふ利権争ひ。話の始まる少し前、現場で役人のひとりが自死してゐる。御法度に触れるたくらみがあるのではないか、と探りを入れる為、金さん(とここでは呼びますよ)は、木場に潜り込んでゐた。そこで偶々知り合つた饂飩屋(演じるのは藤山寛美)が、人殺しの冤罪…といふより罠に嵌つて、死罪を云ひ渡される。
ここまではいい。併しどうも、進み具合がもたもたしてゐる。自死した役人の妻、その愛人だつたらしい藝者、そして死者が遺したらしい、賄賂を巡る書き附け。当然それを狙ふ惡党。更に饂飩屋とその妹が相俟つて、すつきり進まない。こまつたなあ。
勿論ところどころ、面白がれはする。大映の『座頭市』を揶揄ふやうな按摩だつたり、その座頭や饂飩屋兄妹が住む長屋の大家がやり込められる場面。或は金さんが夜鷹に足を洗へと諭す場面では、足を洗つたつて、たれも喜びやしないさと云ふ女に、金さんが喜ぶよと返すところなぞ、江戸振りの粋だねえと感心もした。
併し(と再び云ふ)、何と云ふか、尻が落ちつかない。
クライマックスに到る殺陣から、千代田の御城に乗り込んで、老中水野忠邦を相手に大見得を切る…史實としても、仲は惡かつたらしい…場面で、その落ちつかない理由がやうやく解つた。金さんの描き方も、鶴田浩二の演じ方も、お話の作り方も、やくざ映画のメソッドに沿つてゐる。人夫の金さんなら、それでもいいんだが、左衛門少尉遠山景元が
「我慢にがまんを重ねたけれど、遂に堪忍袋の緒を切」
つて、殴り込んではいけませんよ。様式を求められる映画は確かにある。ことに時代劇はさうでなくちやあならない。やくざ映画だつて、さうでもある。とは云へ両者の様式は丸でちがふ。『人生劇場』を撮つた沢島忠が、それを知らなかつた筈はないのに、どこを掛け違つて仕舞つたのか知ら。
沢島にも鶴田にもさうだが、何より金さんにとつて、不運な映画だつたと思ふ。