閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1202 一挙両得

 一年の内、睦月如月の候ほど、粕汁を好もしく感じる季節はない。各地の酒藏が新酒を出し、杉玉を改めるからで、詰り酒粕も出來たて、といふことになる。

 その出來たての酒粕で作つた粕汁

 その藏の(出來るなら)新酒で味はふ

のが、一ばん望ましい。何しろ出処が同じだもの、相性に文句の出る筈もない。大根だの牛蒡だのぶつ切りの葱だの、豚肉だの鮭だのがはふり込まれた大きなお椀は、私の頬をきつと弛ませる。

 尤も親が用意してくれた粕汁を、食べた記憶は、殆ど残つてゐない。いい酒粕が手に入りにくかつたのもあらうが、同居してゐた祖母が、アルコールを受けつけない体質…奈良漬けで醉つてしまふくらゐの…だつたから、用意しにくかつたのだと思ふ。

 

 ところで呑み屋…中でもお酒が主要品目の呑み屋の品書きに、粕汁が見当らないのは何故か知ら。新酒の時期に限り、賣り切れ御免で出せば、人気になると思ふんだがなあ。

 勿論ちやんとした藏から、新酒と酒粕を入手するのは面倒だらうし、先づ藏と繋がるのが、六つかしさうである。更に具を仕入れ、下拵へをするのだつて手間なのは、容易に想像出來る。叉その粕汁があれば、他の肴を求める必要はなくなり、してみれば呑み屋にとつての粕汁

 ー面倒な上に儲からない

ことになる。すりやあ、出したがらなくたつて、気持ちは解らなくもない。とは云ふものの、粕汁のお椀を肴に、二杯か三杯のお酒をやつつけるのは、呑み助の悦びでせう。どうにかならないかなあ。

 

 そこで考への幅を拡げると、肴を粕汁一本に絞るのはどうか知ら。新鮮な酒粕なんて、限られた時期しか入手出來ないよ、と反論が出さうだが、酒粕の出廻らない季節は、豚汁を出せば宜しい。粕汁と豚汁で用ゐる具は近しいし、後者なら玄冬期でなくとも、供するのに無理はあるまい。そこに菜飯のおにぎりを添へれば、お酒を樂むには十分だし、食事をも兼ねる。後は胡瓜や白菜のお漬ものがあつたら萬々歳。呑み屋の方も手間を省けるにちがひなくつて、詰り一挙両得だと思ふのだが、無理のある望みなのだらうか。