昭和の後期から末期近く。
祖父が健在だつた時、プロレス中継…新日本プロレスも全日本プロレスも…を一緒に観るのが、毎週の約束事であり、樂みでもあつた。その頃の記憶の欠片。
第一回IWGP決勝(で判るとほり、最初はタイトルではなかつた)、アントニオ猪木対ハルク・ホーガン。
リングサイドの猪木に、ホーガンがアックスボンバーを叩き込んで、失神さした一戰。
メキシコから凱旋帰國した藤波辰爾(当時は辰巳表記だつたか)対チャボ・ゲレロ。
藤波必殺のドラゴンロケット…要するにトペ・スイシーダ…がゲレロに躱され、大流血になつた場面。
初代タイガーマスクのデヴュー戰。
ダイナマイト・キッドを相手に放つた、信じ難い鮮やかさのジャーマン・スープレックス・ホールド。あれ以來、フィニッシャーの至高はこれだと信じてゐる。
新日本と契約してゐた筈のスタン・ハンセン。
全日本の世界最強タッグ決定リーグ決勝戰、ブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカ組のセコンドとして登場し、場外でテリー・ファンクにラリアットをぶちかました場面。
ロード・ウォリアーズの日本デヴュー。
阿修羅・原を軽々とリフトアップし、トップロープ越しに場外へと投げ捨てた瞬間。
ハンセンとブロディの"超獣"叉は"ミラクルパワー"コンビは、記憶にある限り、"勝てるタッグチームが浮ばない"ふたりだつた。記憶の補正は認めつつ、今も浮ばない。
異種格闘技戰なら、猪木対赤鬼ルスカ、矢張り猪木対モハメド・アリ、それらからジャイアント馬場対ラジャ・ライオンも挙げておく。
猪木アリ戰はまつたく訳が判らなかつたし、馬場ラジャ戰は本当に酷かつたけれど。
ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の"はぐれ国際軍団"(或は"国際血盟軍")や、長州力と国際軍を離脱した浜口との"革命軍"、KYワカマツの"マシン軍団"は、正直なところ、名前くらゐしか、記憶にない…いや"マシン軍団"に短期間、アンドレ・ザ・ジャイアントが加入したのは覚えてゐる。一応は"ストロングマシーンたちといふ謎のマスクマン軍団"だつたのになあ。
外國人レスラーを挙げてゆくと、"ニューヨークの帝王"こと、ボブ・バックランド、あらゆる体勢からスープレックスを仕掛けられるといふ触れ込みだつたローラン・ボック、バッドニュース・アレン、ニック・ボック・ウィンクル、コーナーポストに登ると、後ろから引つ張かれ、必ず尻が半分出てしまふリック・フレアー。"千の顔を持つ男"ミル・マスカラスと、その弟の"飛鳥仮面"ドス・カラス。
ヒールなら"黒い呪術師"アブドラ・ザ・ブッチャーに"インドの狂へる虎"タイガー・ジェット・シン、そのシンと惡の連携を誇つた、"まだら狼"上田馬之助が三大巨頭。どいつもこいつも、憎たらしくて大きらひだつた。今にして思ふと、こいつら…訂正、かれらが乱暴狼藉を働いたからこそ、ヘビーフェイスの反撃や活躍が際立つたのだが、無邪気(とは無知の謂)な子供だつた私は、そこまで気がつかなかつた。
祖父は解つてゐたのだらうか。
平素は感情の起伏を見せない、たいへん無口なひとだつたけれど、反則攻撃には腹を立て、見事な技には手を拍つてゐたのはよく覚えてゐる。勿論孫を甘やかした(可愛がられてゐたのは間違ひない)とも考へられ…いや矢張り、私と一緒に本気になつて、プロレスを観てゐたのだと思ふ。
さういふ頃の記憶の欠片。