閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1206 唐突なR

 ライツ社ライカ社は一眼レフを造つてゐた。

 銀塩カメラの話。

 その一眼レフは、ライツ社のライカフレックスと、ライカ社のライカRに大別出來ると思ふ。

 粗つぽく云ふなら、M3から始まつて、M5に到つた距離計聯動式が、やうやく

 (どうやら時代遅れになりつつあるらしい)

さう気づいたライツ社が、一所懸命に造つたのが、初代のライカフレックス。但し本気ではなかつたらしい。露光計の方式に対して、レンズ鏡胴の色を見ると

 (それでもカメラの本流は、距離計聯動式なのだ)

と考へてゐたかと思ふ。註釈のやうに云ふと、初代のライカフレックスに搭せられた露光計は、TTLではなく、外部測光だつた。そこに鏡胴を銀いろにしたレンズを用意したのだから、無知は兎も角、調べが足りなかつたと批判されても、反論は六つかしからう。

 初代ライカフレックスは、大きさや重さ、製造する費用にはまつたく無頓着だつた。それに一眼レフの台頭は、ライツ社の見立てより、遥かに進んでもゐた。因みに云ふ。ライカフレックスの發賣は昭和四十年。ニコンFが昭和卅四年、ペンタックスSPが昭和卅九年の發賣だから、ライツの対応がどれだけ暢気だつたか、様子が伺へる。

 当時のライツ社は、屋台骨にがたがきてゐた。M3で(距離計聯動式カメラの)頂きに達し、M2/M4へと繋つた、"ライカの幸福な時代"が

 (これからも長く續く)

根拠もなく勘違ひしてしまつた所為だらうと思ふ。その余韻はライカフレックスSL、同SL2まで残り、破綻する。スイス資本下の、ライカ社の誕生である。

 

 スイス人の資本家は、どうもライカ愛好家…マニヤの心情に気を配れなかつたらしい。

 「"ライカ"は距離計聯動式のカメラを指すであり、一眼レフには、"フレックス"を附けるのが、本筋である」

勿論これは、難癖である。併し一方、カメラには機能性能やスタイリングとは別に、"気分"といふ要素が(強く)あつて、ライカ・マニヤは、その要素を濃厚に持つてゐた。

 スイス人はその辺を知らなかつたのか、目を瞑ることにしたのか、(廉価な流行の)鳩時計でも造るやうに、ミノルタの技術を取り込んで、ライカR3を出した。昭和五十一年。原型となつたミノルタXEが出たのはその二年前。電子制禦のシャッターを採用し、絞り優先の自動露光が出來た。ライツ社は精度だの耐久性だの整備性だの、様々な理窟で、カメラの自動化には頑な…といふより臆病であり續けてゐたから、がらりと態度を変更したことになる。

 (合理的で、安価で、優れた性能なら、賣れて当然だらう)

スイス人はさう考へたのだらうが、話はさう都合よく進みはしなかつた。製造期間はたつたの四年。七万台くらゐしか造られなかつたのだから、あまく見ても、成功とは云へないでせう。参考までに云ふと、昭和五十一年は、キヤノンが"聯冩一眼"のキャッチフレイズを冠したAE-1で、大ヒットを飛ばした年でもある。

 ライカR3の實物を目にした記憶でいふと、機能性能をどうかう云ふ以前に、手に取りたいと思へる機種でなかつた。日本の中級機に、(無理やり)ライカの衣裳を被せた感じ。それを"ライカの値段"で賣つたところで、見向きされる方が寧ろ、不思議ではなかつたらうか。

 (これあ、まづい)

イカ社が慌てたかどうかは措いて、R3をさつさと終らせて出したR4は、外観には随分と気を遣つてきた。中身は相変らずミノルタだつたが、こなれた仕様になり、バリエイションも含めれば、八年續く(製造数は十一万台前後)機種になつた。ライカフレックス初代から十七年、やつと"普通の一眼レフ"に辿り着けたと云つていい。

 そのR4で(一応は)纏つたスタイリングを、ライカ社はR6.2まで、ざつと十五年に渡つて續ける。かういふ

 「完成したスタイリングを極力崩さない」

姿勢は、ドイツ的だなあと思はされる。併し、賣れたかどうかと云へば、どうも怪しい。

 ライツ社はおそらく、フレックスを計劃した時、一眼レフへの移行を目論んでゐたにちがひない。距離計聯動式のM型を造らない期間が、数年あつたのがその證拠で、M4-2でM型に戻つた際の出來の惡さも、見込み外れの当惑と狼狽を示してゐる。ライカの一眼レフは、上のR6.2の後、同9まで續いた。R9は平成十四年の發賣ださうだから、細々ながら長命だつたと云つていい。途中で切り捨てなかつたのは、ライカ社の執念深さなのだらうと思ふ。

 

 さてここで、仮にこれから、ライツ乃至ライカの一眼レフを撰ぶとしませう。

 撰べるのか知ら。

 不安を感じつつ、ライカフレックス(初代)からライカR7まで、雑に調べてみた。R8/9を省いたのは、私の目には不恰好に映つたからに過ぎない。

 先づ驚いたのは、初代から同SL2、R6/6.2以外はすべて、電子制禦だつたことである。半世紀前の、ドイツの、電気カメラを使はうと思ふほど、私は数寄者ではない。

 だつたら上に挙げた中から、お好みで撰へば済む…筈なのだけれど、ことはさう簡単でもない。

 ライツ/ライカの一眼レフは、同一規格のバヨネット・マウントを採用してゐる。但しここで"同一"と云ふのは

 「基本の形状が同じ」

程度の意味。世代があるのは勿論、世代間の互換性が十分に保たれてゐない難点がある。ニコンのFマウントみたいだと思へば宜しく、詰り

 制限なく使へる。

 絞り込み測光で使へる。

 そもそも附けられない。

組合せがある。こちらとしては、ペンタックスを少しは見習へばよかつたのに、と云ひたくなるが、遡つて文句を附けるわけにもゆかない。それに今さらのもしもで話をしてゐるのだから、綿密に考へなくたつて、かまふまい。

 なのでR6/6.2は落とす。使へるレンズのバリエイションでいへば、有利だとして、正面から見た時、ペンタプリズム部分、LEICAのロゴの上に、ファインダの灯り取りの窓がふたつあつて、それがたいへんに恰好惡い。成田三樹夫が演じた烏丸少将の眉が聯想される。デザイナーは何を考へて、ああいふ配置にしたのだらう。

 従つて撰ぶのは、ライカフレックス系からの一台に絞られて、私なら初代にする。理由は簡単で、製造時期に私の誕生年が含まれてゐるからである。資料によると八千台。露光計の考へ方に疑念はあるにしても、どうせ電池は入れないのだから、困りはすまい。

 ズームレンズ…アンジェニューやバリオエルマー…は対応しないらしいが、全手動のカメラにズームレンズは似合はないし、使ひにくくもある(この点はリコーの一眼レフで、経験済みなんです)ので、気にはならない。これも資料によると、35/50/90/135ミリと、ミラーアップして附ける21ミリスーパーアングロンまであるのだから、マクロレンズが見当らないのを除けば、不満も顔を出しにくい。

 まあ今になつてわざわざ、巨きな図体の、使ひ勝手も感心しない、そのくせきつと割高なカメラを手に入れたいかと訊かれたら、間髪を入れず、躊躇もなく、残り少くなつた余命で、目を向ける対象にはなりませんなと(世界のどこかで、今も使つてゐるひとには、礼を失する態度だらうと気にしながら)応じる。序でながら、余命にゆとりがあつた頃、ごく短い期間、R4にトキナー製35-70ミリズーム(見た目からバリオエルマーとして、OEM供給されたのではないかと推測したが、当てにはならない)を持つてゐたのを今、思ひだした。