閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1213 お古の樂み

 デジタル一眼レフを撰ぶなら、中古でもかまわない。

 この十年以内の機種

 入手が容易な記録メディアを採用していること

 バッテリが現行品か、互換品が確保出來ること

 この三点に留意すれば、被冩体が余程に特殊…野鳥やモータースポーツ…でない限り、まあ大体は失敗しない。私の手元では、十五年前のリコーGRデジタルⅡが現役だから(使う場面は限られているけれど)、嘘ではない。

 

 十年前…平成廿七年の機種を幾つか挙げてみましょうか。

 ペンタックスはK-3ⅡとK-S2

 キヤノンではEOS8000D

 ニコンからはD7200とD5500

 一眼レフ時代が終ろうとしている頃だったのか…遠い目になりそうだなあ。

 

 感傷はさて措き。併し上の一眼レフが實用に耐えないかと云えば、どうもそうは思えない。少くとも散歩だの、ちょっとした外出だのに持ち出し、ルーズに撮るくらいの使い方なら、特段の不満は感じないだろう。

 何故かを考えるに、この頃の一眼レフは既に進歩を終え、爛熟期も過ぎ、停滞期に入っていたからではなかろうか。こう云うと、メカニカルの研究家から、猛烈に批判されそうな不安はあるが、私程度の素人からすると、新機種が出ても、前機種からどう変ったのか、よく判らなかったもの。

 であれば、今から一眼レフを撰ぶのは、ひとつの方法になる、かも知れない。

 尤もミラーレス一眼に馴れた目と手に、あのごろりとした姿は不自然に映る、とも考えられる。

 スタイリングのちがいに踏み込むと、話が泥沼に入るのははっきりしている。なのでそこはまあまあ、色々ありますからねと誤魔化して、私じしんは、一眼レフの姿形も惡くないと思っている。銀塩一眼レフを常用していた分、奇妙に感じない程度、あのスタイリングには馴染みがある。

 

 思い返すと併し、初期のデジタル一眼レフは、確かに野暮ったく感じられたねえ。

 カメラの大きさが、フォーマットとマウント径とフランジバックで、(ある程度)決るのは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏も御存知でしょう。一眼レフだと、そこにミラーボックスの空間と、ペンタプリズムを組み込むから、どうしたって、大柄になり重くもなる。それをスリムにしたければ、機械だの素材だのの大きさ重さ、その役割と配置の見直しが求められるのは当然で、当時の一眼レフは、その洗練が足りていなかったのだろう。

 ただ上に挙げた機種群くらいまで進むと、"一眼レフの構造だから、仕方がない部分"以外は、相応に改良されている。それにその頃は未だ熟成不足な面のあったミラーレス一眼が、メインストリームとなった現在、一眼レフは相対的に割安と考えてよく…話はここで叉もどり、冒頭の條件を前提に、得心のゆくスタイリングの一台があれば、それを手にするのも、ひとつの判断に思われる。

 

 今なら、ニコンD5500以降か、もうひとつ階級…わかい讀者諸嬢諸氏は御存知なかろうが、一眼レフ時代、カメラには階級の概念があったんです…を下げた、D3400以降を候補にする。一眼レフとニコンが、殆ど直線で聯想されたからで、こういうイメージは、作ろうとして作れるものではない。

 レンズは単焦点とズームの二本。

 前者は断然、ニッコールがいい。

 後者はサードパーティ製も含め、検討の余地がある。

 ズームは所謂"標準系"か、広角寄り。暗くて構わない。これを附けつ放して、いざとなったら、明るい広角単焦点に取り替える。逆に軸を広角単焦点にして、高倍率のズームを補助とするの手も考えられる。

 そんなの.、ミラーレス一眼でも出來るじゃあないか。

 と云われたら、確かにその通りなのだけれど、手頃なズームと明るめの単焦点は、銀塩の一眼レフを常用していた当時の組合せであつて、それを(お古の)デジタル一眼レフで再現するのは、惡い樂みでないもと思える。その手の樂みには矢張り、クラッシックなイメージのつよいニコンが似合う。

 

 ちょいと、センチメンタルな樂みか知ら。