見目麗しの貴女に云うのではない、残念ながら。
キヤノンが造っていたカメラに、kissがあった。正確にはEOS kiss…銀塩一眼レフから始まり、デジタル一眼レフ、更にデジタルのミラーレス一眼まで續いた、長大なシリーズ。厳密には
「それぞれの時代のEOS群の、エントリー機部門を担った機種の総称」
として用いられたのがkissなんだが、それより寧ろ、獨立した一群…シリーズと捉える方が、私にはしっくりくる。
初代が發表された時、私の目には、それまでのEOSのシルエットや操作系は保ちながら、シャープなスタイリングに映ったから、びっくりした。
(なのに、kissかあ)
首を傾げたのも覚えている。明かにオンナノコ向けのネーミングで…それでキヤノンの狙った贖賣層が判る。小さくてかるくて、使い易くて、そこそこに廉価。多少の偏見を含めつつ云えば、女性にとって、小ささと可愛らしさは、ほぼ同義でしょう。家族冩眞をママが撮るには、欠かせないその條件を満たし、パパ自慢のEOSのレンズも使える。その辺に気がついた私は、成る程こいつはらうまいこと、考えたものだと感心したのだった。
ごつくて重くて六つかしそう…ではないことを意図した一眼レフは、おそらく初代kissをもって嚆矢とする。それ以前にもAE-1やOM-1(オリンパス)、ME(ペンタックス)、EM(ニコン)と、小型の一眼レフはあったが、それらはあくまでも
「機能や構造を簡略化し、コンパクトに纏める」
ことが目的だったから、使うにあたって、冩眞を撮る上での経験なり知識なりは、ある程度にしても求められた。
「そうではなく、初めて手にしたひとが、フヰルム一本目の一枚目から、ちゃんとした冩眞が撮れる」
一眼レフとして企劃された最初が多分kissで、似た發想の機種は、私の知る限り(一眼レフではないが)オリンパスのPEN EEしか見当らない。
賣れた、らしい。狙った層は勿論、軽くて安くて手持ちのレンズも転用出來る、という理由でEOS-1を使う職業冩眞家も買ったとか、噂話を耳にした記憶もある。本当かどうか。然もありなんとは思えるけれど。
こう書くと、kissは一眼レフの理想的な姿だったかと考えたくなり…實際は併し、そうとも云いにくい。生産のコストだろう、造りの安っぽさは否めないし、ことにマウント部までプラスチックにしたのは、現實的な耐久性は横において
「内々の事情は兎も角、何とかなりませんでしたか」
と云いたくなる。もうひとつ、シャッター幕が加水分解する持病は、原型となったEOS1000から、受け継がなくてもいい弱点だった。今さら文句を附ける筋ではないにしても。
とは云え、kissが代数を重ねたのは事實である。New、ⅢにⅢL、5、7と續いて、kissデジタルに到っては、どう数えればいいものか。叉ミラーレス一眼への本格的な参入前に用意したEOS Mの系列にも二代に渡ってkissの冠はあった。EOS銘のフォーマットで、kiss名が見当らないのはAPS…曾てそういう規格のフヰルムがあったんですよ…くらい(EOS R系では今のところ、kiss名が出る気配はないが、まあ)だから
「一眼(レフ)機の入口という位置附け」
は、最初から正しかったことになる。それゆえ、kissの冠をひとつの獨立した一群と見立てたいと云っても、無理筋と批判されはしないでしょう、多分。
一方で我われは、kissが世代を重ねる中、"入口カメラ"だけではなくなってきた点に注意を払いたい。簡単に云うと
「特殊な被冩体を撮らない限り」
過不足のない機能を持つ"小型軽量にして特殊なカメラ"の地位を得た。その傾向は銀塩時代のkissⅢから見えていて、ミノルタが慌ててαsweetを、ニコンが重い腰を上げUを出したのは、煽られた結果と云っていい。両機がデジタルに到らなかったのは
「"そういう"特殊カメラ」
の印象とkissが既に、殆ど直線で結びついていたからで、こういうイメージは、先手で取ったもの勝ちなのだな。
デジタルになってからのkissは、手に入れたことがない。海外版であるREBEL X(型番は記憶違いの可能性がある)を一度、何年か経ってNew kissを一度、短期間使ったきりでどちらの時もEF50ミリF1.8Ⅱを附けた。物理的には勿論、お財布的にも、おそろしくかるい組合せだった。短期間で手放したのは、シャッター音がまったく安っぽくて、どうも我慢ならなかったからだと思う。
「それも(或はそれが)廉なカメラの樂みでもある」
とは当時、理解出來ていなかったのだろう。見る目…聞く耳が正しいか…がなかったねえ。
手を出さなかったのは、kissの印象と強く繋がった軽快さを感じなかったからで、これは物理的な重さでなく、ぱっと見の姿がひどく鈍重に映った所為と考えてほしい。少くともデジタル一眼レフの頃はそうだったし、事実上終った今も、その印象は変らない。併しEOS Mにラインアップされた二代は、銀塩kissのような軽やかさがあった。EOS Mも終ったから、過去形なのだけれど、kiss銘のイメージで云えば、デジタル一眼レフより、こちらの方がずっと近い。
さてここで大事なのは、終了したカメラには、(ある種の)安心感があること、括弧書きの部分を、もう少し云えば
「ボディもレンズも、新型が出るかも知れない不安」
に苛まれずに済む点に尽きる。ニコン1やペンタックスQから、何とも云いにくい魅力を感じるのと同じである。寧ろ判りにくいだろうか。
ボディはkiss Mと同M2の二種。今からなら、どっちだって構うまい。
レンズは八本。内単焦点は二本。ズームも含め、17.6ミリから320ミリまで(ライカ判換算で)カヴァしていて、私の使い方なら何の不都合もない。更にアダプタをかませば、一眼レフ用のEFレンズを附け…色々と制限はあるそうだが…游ぶ余地まで残っていて、もしかすると
「使い續けることを考えなければ」
ひとまずは十分じゃあないか、とすら思えなくもない。私の手元にはGRⅢがあるから、ひとまずでも問題はなく、ひとまずの後は、次へ移行するのも考えられ…そうなったら、あの會社の策にまんまと嵌まる。
「kissをしましょう」
という誘惑が、EOS Rに無い(R100だったか、廉価版はあるが、あれは位置附けが異なって見える)のは、キヤノンの失策か、別の思惑ゆえか。それはまあ、横に措いて、廿余年ぶりにkiss Mで、見目麗しの貴女を撮るのは、惡い樂みと云えないでしょう。