閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1221 品下れた天かす

 饂飩を煮る時、ちょっと困ったら、天かすを入れる。

 安直且つ便利な上、中々にうまくなる。

 尊敬する檀一雄は、『檀流クッキング』で、素麺の藥味を紹介する際に、天かすの作り方を指南している。實に愉しそうな口調だから、眞似をしたくもなるのだが、どうにも無精なたちが邪魔をして、その機會を作れていない。

 云っておくと、その辺のマーケットで賣っている天かすだって、食べられないほど不味くはない。お豆腐と一緒に買って、刻み葱と削り節と生姜を乗せた後にどっさりふりかけ、醤油でもぽん酢でも麺つゆでも打掛けたら、庖丁も俎板も鍋も使わない一品になるんだもの。

 或はお味噌汁…矢つ張り安易な、即席の若布やお豆腐のやつに(贅沢を気取りたければ温泉玉子を落してから)、ざらっと入れるのも惡くない。これはお椀ものとしてより、汁かけごはんで平らげるのがうまい。

 併し矢張り、饂飩に入れるのが一等、うまいと思う。

 蕎麦だっていい。ただこっちの場合、生卵を放り込んで完成する。たぬき蕎麦の卵入りは、立ち喰い蕎麦の種ものの中でも、特に好もしく思っていることは強調するとして、饂飩の安直には半歩、及ばない。

 ああそうだ。旧式の大坂人であるところの男、詰り私にとって天かすの位置附けは

 「饂飩屋で、素饂飩(葱と蒲鉾の欠片)を啜る時、勝手に入れていい」

おまけであって、我が親愛なる、そして旧式の大坂人ではないところの讀者諸嬢諸氏の為に云えば、牛丼屋の紅生姜を聯想してもらえれば判り易かろうか。

 天かすを入れるのは、つゆを張った丼に、うで上げた饂飩を入れ、葱を浮べてから。やわやわになったところを、饂飩と一緒に啜り込むのが、何とも品下れた樂みなんである。