さだまさしの唄で一ばん好きなのは『まほろば』で、この[好きな唄の話]でも取りあげた記憶がある。
修二会の訓みは"シュニヱ"…概ねは下記東大寺のWebサイトで掴める。叉、司馬遼太郎が『街道をゆく』の中、驚きと感動を込めて書いてもいるから、この稿で詳しいことには、いちいち触れない。
https://www.todaiji.or.jp/annual/event/shunie/
玄冬の候、雪の舞う平城の夜に走る松明。
さだの頭にあったのは、多分その一点で、或はその情景をじしんの目で見て叉、聲明を耳にしたとも思える。儀式の時系列や用いられる言葉をきちんと把握した歌詞が、それをに鮮やかに證明している。千二百年に余る時間、おそらく原初の形まま受け継がれ續けた焔の姿が、平城を恋うかれを包んだろうとは、想像に難くない。
併し。
君の手は既に凍り尽して居り、といふフレイズが示す烈しさ(二番の、君は格子の外に居り、も劣らず厳しい)は何だろう。『まほろば』では垣間見えた、鎌倉佛教めいた諦観やあまさはここにない。現代に生きる…踠き生きざるを得ない、いっぴきの人間が、華厳の紡いだ伝統に圧倒される様が、肌に触れる雪のような火の粉の痛みのように、生々しく…いや寧ろ痛々しく…描かれている。
令和七年の修二会は、十日前に終った。