閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1224 暫く、御無沙汰

 そういえばここ暫く、厚揚げを食べていない。

 焙ったのに、刻み葱と削り節、すりおろしの生姜を添え、醤油を垂しながらやっつけるやつ。

 或は酢豚の要領で、肉の代りに厚揚げを使った、薹灣料理では家常豆腐と呼ばれているやつ。

 親戚筋と云える揚げ出し豆腐も叉、まことに喜ばしく、我が若い胃袋の讀者諸嬢諸氏には信じ難かろうが、私くらいの年齢になると、膏みの多い獸肉より、こういうのが嬉しくなるのです。

 

 雑に調べたたけだから、そこは差引きしてもらうとして、我が國では室町期に"豆腐を油で揚げる"技法が伝わり、江戸期の中頃以降、漸く下層民まで拡がったらしい。詰り伝來から普及まで、三世紀くらいを要したか。そこから現代まで進むと、更に百年余の時間が過ぎていて、我われの食卓酒席に馴染むには、まあ十分と云っていいでしょう。

 上に挙げただけでなく、鶏肉や小芋と炊合せたり、汁椀の種ものにしたり、ステイクのように焼いたり、そうだ、おでんの種にも欠かせない。要するに短く見積っても、二世紀以上の長きに渡り、我われは厚揚げに夢中なんである。鮪の脂なんぞ、まだまだ新参の域を出ないではありませんか。

 

 併しそこで不思議なのは、厚揚げは何故、人気を得て、得た人気を保ち續けたのか。そこがさっぱり判らない。ごく簡単に、獸肉を食べる習慣を持たなかったか、あっても口にする量が決定的に少かったのを、大豆で補おうとした、と想像は出來る。ただそれだと厚揚げは、獸肉の代用品のような位置附けという解釈となって、獸肉に縁のうすい食卓が当り前だった(だろう)ことと矛盾する。

 もっと俗っぽく、唐渡りだから持て囃され、持て囃されている内に、御先祖の舌に適うよう、工夫を凝らしてきたのでないか、と考えられもする。もっと云うなら、持て囃し、工夫を凝らしたくなる程度に、厚揚げは旨いと受け取られたのだと思いたい。佛教と鐵砲と西洋料理で明かな通り、海の外からの衝撃に弱いのは、我われの伝統である。厚揚げもそのひとつだったと見る方が自然かも知れない。

 

 こう書いてから云うのも何だが、様々想像を巡らす樂みは認めつつ、焼くか炊くかして、目の前に出された厚揚げを、頬を緩ませ摘むのには及ばない。当り前ですよねえ。

 ぬる燗か冷やを横に置けば、かるい晩酌は成り立つ。薹灣式に仕立てられた夜は温めた紹興酒、ステイク風の(獸肉を奢った)濃いソースが掛かっていれば、軽めの赤葡萄酒。どうしたって嬉しい厚揚げを、ここ暫く食べていないのは、我ながら怠慢と云う他にない。