そういえば、烏賊の天麩羅を長く食べていない。
正しくは烏賊料理全般に云えるのだが、そうなるとお刺身やら中華風の炒めものやら丸焼きから、一夜干し、酢味噌和えまで、話が拡がりかねない。面倒である。だからこの稿の
話題は天麩羅、精々フライに押し留めたい。
一口に烏賊の天麩羅と云っても、胴を蒲鉾みたいに薄切りにしたのと、下足に大別出來る。烏賊の天麩羅呼びは主に前者か。後者は下足の天麩羅…ゲソ天と呼ばれることか多く、どちらも私には好もしい。
念を押すと、(所謂)烏賊の天麩羅…ここからは烏賊天と呼びます…は、揚がった出てきた喰ったでないと、覿面まずくなる。天麩羅はぜんたい、揚げたてでないと味は落ちるが、烏賊の落差は、他の種より大きいと思う。ゲソ天の場合、それは比較的緩かで、きっと部位と熱の関係なのだろう。
ここでフライに目を向けると、烏賊天に近いと思われる。併しこっちは揚げたてをうっかり置いてしまっても、天麩羅ほどに味は落ちない。ウスターソースでやっつけるから、気にならないのか知ら。確かに私が烏賊天を平らげる時は、塩である。次は天つゆで試してみよう。
大坂にある某ビアパブ(と仮に呼びますが)で出す鯣の天麩羅が、實にうまいのを思いだした。七味マヨネィーズを添えているが、そのままでも旨いし、冷めても気にならない。年末の西上の際、立ち寄ったら必ず註文する。これも烏賊の天麩羅一族に含めていい。
そこで疑問ひとつ。ヨーロッパ人は、一部の地域を別にすれば、烏賊を食べる習慣を持たない。筈である。天麩羅に繋がる揚げ料理は、ポルトガル渡りだが、あの國の紳士淑女は揚げた烏賊に舌鼓を打ったのだろうか。序でに蛸を食べるギリシャ人は、烏賊を食べるのか、食べないならどう思っているのだろう。残念なことに、リスボンにもアテネにも友人がいないから、確める術がない。
話を少し拡げると、烏賊は冒頭に例を出したように、様々に料ることが出來、それらは料り方様々にうまい。お刺身から始め、炒めものや煮つけ、和えものを経て、ごはんに到るまで、烏賊尽しで食卓酒席が成り立つのだから、大したものではありませんか。鮭や鯖や鯵は兎も角、蛸や蟹や海老で、尽しは少々六つかしかろう。
話を縮めてゆけば、烏賊尽し、様々に豊かな烏賊料理の中でも、天麩羅は王者…が大袈裟でも、四天王の一角を占めるくらいなら、不思議ではない。尤もここで云う天麩羅は、烏賊天に限る。ゲソ天や鯣天は格が幾分落ち、烏賊フライ、烏賊リング、フリッターは分が惡い。何がちがうかと云えば、烏賊天は単獨だけでなく、天麩羅盛合せに欠かせず、時には丼や饂飩の種にもなる。塩は勿論、天つゆや醤油、ぽん酢、或は卵でとじてもいい。この対応の幅の広さが、烏賊天の魅力であって…その魅力的な烏賊天を、ここ暫く食べていないのは、我ながら怠慢と云う他にない。