日々の買ひものをする範囲だと、鯖の罐詰は大きく、味つけと水煮、それから味噌煮に分けられてゐる。念の為に云ふと、味つけは、醤油煮風の仕上げ。罐詰に加工し易く、賣り易いのが、この三つなのだらうな。トマト煮くらゐ、あつてもよささうに思ふのだが。きつとチーズに似合ふ。
それは兎も角、上の三つから撰ぶなら、味噌煮罐が一ばん安直でいい。刻み葱や生姜や大蒜や大葉を加へてよく、茹で野菜にほぐし乗せ、マヨネィーズを掛けるのも、丼めしに打掛けるのもいい。面倒なら蓋を開け、そのまま摘んでも、特に不満は感じずに済む。
味つけ罐は味噌煮罐の気分でない時に食べる。
水煮罐は少し手を掛けたい気分の時に食べる。
成る程、かう考へるに、私にとつての鯖罐詰は、(安直さゆゑか)味噌煮が基本であるらしい。ではその鯖の味噌煮罐はいつ頃、出來たのだらう。<日本缶詰びん詰レトルト食品協会>の"缶詰のあゆみ"項を見ると、以下の記載がある。
◼️日本の缶詰の歴史
わが国の缶詰は、今から約150年前の1871(明治4)年に長崎で松田雅典という人がフランス人の指導で、いわしの油漬缶詰を作ったのが始まりです。
間もなく1877(明治10)年には、北海道で、日本初の缶詰工場、北海道開拓使石狩缶詰所が誕生し、同年10月10日にさけ缶詰が製造されました。その後缶詰が工業的に生産されるようになり、昭和の初期には、さけ、かに、まぐろ、いわし、みかんなどが缶詰になって重要な輸出品として海外へ輸出されていましたが、昭和30年以後は国内向けが多くなり、さまざまの缶詰が消費者に供給されています。
https://www.jca-can.or.jp/useful/about
この文章に見える松田雅典に指導をしたフランス人の名前は、レオン・デュリー。文久元年に來日。離日は明治十年。経歴を見ると、肩書としては医師、教師、領事が挙げられ、食品加工に関はる知識は淺かつた(軍医の経験はあるから、罐詰は知つてゐただらう)と思へる。松田が教はつたのは
「かういふ工夫…技術がある」
大雑把なところだけだつたのではないか。"罐詰の日"が、石狩罐詰所での製造開始日に因んでゐるのは、その間接的な證拠である。勿論それが、松田やデュリーの名誉に、傷をつけるわけではないけれども。
それより罐詰の材料に、鯖の字が見えない。あの魚が非常に早く傷むのは、千年前から知られてゐた筈…越前から京都への鯖街道を浮べればいい…だから、如何にも罐詰向きだと思へるのに、石狩罐詰所ではさうしなかつた。ここで石狩市の"開拓使石狩缶詰所"項から少し引用しますよ。
◼️明治11(1878)年4月、U.S.トリートが開拓使長官に報告した文書によると、石狩工場で生産された製品は、明治10年10月から翌年3月までに、サケ12,092缶、スモークサーモン769本、カキ3,226缶、シカ肉9,358缶、牛肉222缶、などとなっています。
その後、明治13(1880)年にフランス製の缶詰用蒸気器を購入、サケの酢漬缶詰の試作に成功し、翌14年の生産高はおよそ8,100缶、その生産額は1,100円となりました。
(丸太註:U.S.トリートは石狩罐詰所所員に製造技術を指導した米國人)
https://www.city.ishikari.hokkaido.jp/museum/if0125.html
協会の文章より、具体的なところが判る。鹿や牡蠣、スモークト・サモンといふのが、如何にも北海道だなあ。感心はするが併し、鯖の名前は見えない。
需要が見込めなかつたのか。
輸出品としては不適当と判断されたのか。
罐詰にまはすだけの漁獲量ではなかつたのか。
単に近隣の漁場では獲れなかつたのか。
デュリーやトリートがそもそも、鯖を知らなかつた可能性も、無くはない。それとも
「兎に角一ぺん、試してみませう」
と試作まではしたが、まづかつたか、失敗したのだらうか。何とも判らない。
その鯖の罐詰を味噌煮にすると、たれが思ひついたか、それも判らない。判らないが、素晴しい着眼だつたと云つていい。お味噌はそれ自体、十分にうまく、匂ひ消しの役割も兼ねられる。味噌煮も叉、日本人の舌にはお馴染みであつて
「ご家庭の台所の手間を省ける」
一点で大發明である。いや半ば以上、本気で云ふんですよ。何しろごはんとお味噌汁、後は少しのお漬物があれば、(一応つきにしても)一回の食事が成り立つんだもの。この点で比肩するのは、ひよつとすると、日清のチキンラーメンくらゐかも知れない。
何年前だつたか、長野は松本の町を歩いた。正確にはニューナンブ(この名前に就ては、いちいち説明しませんよ)の頴娃君に案内してもらつた。好もしい町だつたのをよく覚えてゐる。あすこには味噌藏がたくさんある。その中の目に入つた藏の食堂で、鯖の味噌煮定食を食べたんだが、それが實に美味くつて、びつくりした。
落ち着いて考へれば、当り前である。お酒が醸し方で味はひを大きく変へるやうに、お味噌の味はひが、その造り方で変らなければ、寧ろ奇妙ではないか。であれば。鯖の味噌煮罐も、用ゐるお味噌で、味がちがふのが当然となる。確かに一罐百五十円くらゐのと三百円超のでは、同じ"鯖の味噌煮の罐詰"で括れるとは云ひにくい程度にちがふ。
ただここで、三百円超の鯖味噌罐を、どんな風に食べればいいものか、疑問は残る。佳い鯖を〆たり、塩焼きにしたやつなら、お酒をちよいと気張ればいい。松本で食べたやうな味噌煮なら、ごはんが望ましい。併し"あの藏の味噌煮"が、罐詰に仕立てられ、その罐が目の前に出されたとして、喜ばしい気分になれるかどうか。私の頭の中には
「罐詰は結局、ナポレオン發の軍用保存食だもの」
といふ思ひこみ…罐詰史的には事實ですよ、為念…が牢固とあつて、高級や美味と結びつけるのが困難な上
「鯖は旨いけれど、要するに下魚だからなあ」
さういふ気分もある。下魚扱ひは大間違ひだと、全國全世界の鯖愛好家味噌煮閥罐詰派から、咜られる恐れが強いのは承知してゐるが、思ひこみや決めつけは、抜き難いから、思ひこみであり、決めつけなんである。
ま。この際だから、ややこしい話は、横に措かう。特賣の百円だらうが、五百円の高級品だらうが、鯖の味噌煮罐が好もしいことに変りはない。今宵は湯煎してからチーズをあはせてみませうか。お味噌とチーズの組合せなら、外れはしまいし、ワンコインの葡萄酒でも用意すれば、存外に豪華な晩酌を樂めさうな気がする。