閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1233 本当にさういふモンか

 なーんとなく、さういふモンだな、と思つてゐたが、不意に気になつたから、チェーンの立ち喰ひ蕎麦屋の品書きに見掛ける、蕎麦とのセット(蕎麦は温かいのでも冷たいのでも)に就て、書くことにする。

 ミニかつ丼

 ミニ親子丼。

 ミニ掻き揚げ丼。

 ここまでは判る。空腹の民にとつて、有難い組合せにちがひない。わかい胃袋の持ち主は、大いに食べてくれ。併しその隣にはミニカレー(ライス)と書かれてゐる。冒頭でさういふモンと云つたのはここで、かれは何故、そこにゐるのか知らと、気になつたんである。待てよ、カレーを呼ぶなら、彼女が正しいのかな。

 

 代名詞の話はまあ、どうだつていいや。

 そもそも蕎麦が、温かいのでも冷たいのでも、カレー(ライス)に似合ふとは思ひにくい。といふより、似合はない…などと云つたら

 「カレー南蛮を、知らないのかね」

さう異論が出さうだが、カレー南蛮なぞカレー饂飩があつたら、品書きから失せても、私はこまりませんよ。

 念の為に云ふんだが、私は立ち喰ひで啜るかけを、好もしく思つてゐるし、カレーライスが大の好物なのは、念を押すのも面倒になる。併し両者を同時に食べたいかと訊かれれば

 「すりやあちよつと、遠慮しませう」

さう応じたい。何故だらうなあ。

 

 何年前だつたか、某所でシャブリと生牡蠣の組合せを試したのを思ひだした。それぞれまことに結構。併し組合せて更にうまくなつたかと云ふと、そこはまつたく感心出來なかつた。プロレスでいへばタッグチームなのはいいが、パートナーと嚙みあはないまま、試合に臨んだ感じで

 (佛國人は、かういふのを、悦ぶのだねえ)

不思議に思つた。美食の國の名誉の為につけ加へると、その夜の生牡蠣は國産だつた。佛國生牡蠣だつたら、異なる感想を抱けたかも知れない。

 立ち喰ひ蕎麦屋のミニカレー・セットに話を戻さう。こちらも叉、ちぐはぐなタッグチームの気配がある。それも濃厚にある。カレーは香りも味もきついからね。蕎麦に限らず、何かとあはすことに無理がある。シングルマッチに長けたプロレスラーなのに、タッグでは今ひとつな例があるでせう。礼儀を重んじて、浮んだ名前は挙げないけれど、立ち喰ひ蕎麦屋の(ミニ)カレーは、そのプロレスラーに似てゐる。

 「とは云つても、蕎麦屋のカレーは旨いぢやあないか」

御尤も。私だつて、蕎麦屋のカレーがまづいとは云つてゐない。何ならかつ丼と並んで、蕎麦屋のトップランカーと云つていいとも思ふ。但し繰返して云ふなら、かけ蕎麦とあはさうと目論むのは、シャブリと生牡蠣並みに無理がありますわな…と、私にはさう思はれる。

 

 併しさうなると、世の立ち喰ひ蕎麦屋がこぞつて、ミニカレーと蕎麦(温かくても冷たくても)のセットを用意する理由が判らなくなる。

 「詰り需要がある、さうは思はんかな」

その指摘には一応の同意を示すとして、だつたらミニかつ丼やミニ親子丼、ミニ掻き揚げ丼の方が、相性がよささうに思へる。それともあのカレーは、かけ蕎麦との相性を計算し尽したスパイスを配合してゐるのだらうか。

 「その謎を探るべく、我われ取材班は、インドの奥地へと向つた」

と云ひたいところだが、生憎私は、取材班を編成する組織も権力も持合せない。仕方がないから明日のお晝は、チェーンの立ち喰ひ蕎麦屋に向つて、かけとミニカレーのセットを註文してみるとする。蕎麦は勿論、温かい方で。