閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1244 佛人の知らない壜詰

 普段は余り買はないのだけれど、マーケットの棚に並んでゐるのを目にすると、何となく、曖昧に、そそられてしまふのが壜詰である。

 

 海苔の佃煮

 シナチク

 舐め味噌

 鮭のほぐし身

 各種の木の實

 酒盗や塩辛

 マリネーにピックルス

 ジャムとママレイド

 マヨネィーズに蜂蜜に辣油…挙げてゆけばきりがない。

 

 原型は十九世紀初頭のフランスに遡る。ニコラ・アペールといふ人物が

 

 壜に食品を詰め込み

 ↓

 煮沸してから

 ↓

 キルクで栓をし

 ↓

 蝋で密封する

 

技法を發明した。因みに云ふ。密封した容器への保存や、硝子壜の利用は、アペール以前からあつた。この男がえらいのは、煮沸の工程を加へた点にある。

 

 この時期、フランスではナポレオン・ボナパルトが登極してゐる。かう書けば、ひよつとしてと思ふ、すすどい讀者諸嬢諸氏が出るだらう。その推測は正しくて、壜詰といふ

 「食品の長期保存が可能な技術」

の確立には、皇帝陛下の遠征における糧食の補給事情が色濃くあつた。ナポレオン本人は、食べることに、いたつて無頓着だつたさうだが、兵隊には腹一杯食べさせないと、戰にならないと知つてゐたのか。血腥い話だけれどねえ。

 同じ時期の日本に目を向けると、時の御門は光格帝(明治以前、最後に譲位した天皇でもある)、江戸の征夷大将軍徳川家斉。ロシヤ帝國のレザノフが長崎にやつてきて、ざはざはした頃でもある。蜀山人太田南畝、鶴屋南北十返舎一九酒井抱一葛飾北斎が活躍し…未だ天下泰平の蒲団はぬくぬくしてゐた。ペリーが泥靴のまま、その蒲団を引き剥がすのは、半世紀後のことである。

 

 フランス皇帝の軍隊…ではなく、壜詰に戻りますよ。アペールが確立した技法は優れてゐたが、壜が重く、叉割れやすい…(長距離の)輸送に不向きといふ弱点があつた。あくまでも弱点である。

 第一に、家の保存食…たとへば梅干しや辣韮を漬けるくらゐなら、そもそも大した問題にはならない。

 第二に、重さと頑丈さの矛盾は、硝子造りの技術的な發達と、輸送手段の改善で、解消が可能である。

 皇帝陛下の野蛮な戰争には、間に合はなかつたが…罐詰がその座を得てはゐる…、二世紀余り後の世に棲む我われの近くに、当り前にある壜詰自体が、弱点を克服した證拠でありませう。平和つて、有難いものだなあ。

 

 ところで壜詰は、何と云ふか、中身がちらりと見えるのがいい。ちよいと、昂奮しますね。何をどうやつて、やつつけてゆくか、色々と想像が膨らむ。罐詰ではかうはゆかないところを鑑みるに、ちらりは男子の浪漫といふことか。

 尤も壜詰は、食卓の主役ではない。我われにとつて、その座がごはんなのは、二千年余、揺るがないのだから、理窟以前に、染み込みきつた感覚なんである。但しこれが晩酌となつたら、話はまつたく異つてくる。舐め味噌や酒盗、ピックルスは、そつちで寧ろ、真価を發揮するでせう。

 卓の眞ん中に、一丁のお豆腐を用意して、周囲に壜詰を林立させ、更に"日本酒の壜詰"であるところのカップ酒…四合乃至一升の壜には非ず…を置けば、一ぱいを樂むには十全な備へと云つていい。アペールは勿論、ボナパルトだつて、二百年後の東洋で、かういふ愉快が成り立つとは、考へもしなかつたにちがひない。えへん。