閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1245 最初の一ぱい

 呑み屋の卓に腰を下ろして、最初に何を呑むかは、大切な問題である。その後に何が續くのか、何を續けるのか、といふ大きな方針が、後ろに潜んでゐるから。

 無難なのは、麦酒でせうね、矢張り。念の為に云ふと、この無難は、難ガ無イ…その器に、もつ煮でも鶏の唐揚げでも〆鯖でも鯵フライでも、安定して受けとめるゆとりがある、との意味で使つてゐる。冷酒や焼酎ハイだと、撰びたくなるお摘みの幅が多少、狭まる気がする。

 尤も最後まで麦酒で押し通しはしない。お腹が膨れる上、厠が近くなつてこまる。尊敬する内田百閒は、友人から

 「カツレツを貪りながら、大壜を半打も平らげて、一ぺんも厠に立たないのを、自慢にしてゐやがる」

と惡くちを叩かれたさうで、大したものだと思ひはするが、ざつと三リットルの麦酒を平らげたいかと訊かれたら、謹んで遠慮申しあげる。

 私の場合だと、中ジョッキだつたら精々二杯。百閒先生に倣つた大壜は一本あれば十分で、さうなると呑み屋に置いてある麦酒の銘柄を、注視せざるを得なくなる。

 

 こまるのはスーパードライ。夏の夕方、呑み屋に駆け込んで直ぐ呑む分には、まつたく美味い飲みものだと感じるのだが、素早く干した後が續かなくて、戸惑つてしまふ。どちらかと云ふなら、帰宅した直後に呑む罐麦酒の地位(これだつて重要なんですよ)が、相応しいと思ふ。

 モルツ系統もこまる。正直に云つて、口に適はない。申し訳ないが、好みの話だから、御容赦を願ふ。それにサントリーには、素晴しい葡萄酒とヰスキィがあるぢやあないか。私としては、そつちで樂ましてもらへれば満足である。

 キリン…は微妙ですねえ。私が潜り込む呑み屋では、どこにも置いてゐない。一番搾りだつて、ラガーだつて、"ニツポンのトラッドなビール"の印象がつよいのに。串に刺してゐない焼き鳥(ここはたれが望ましい)に、大きなコップに注がれたキリンなんて、昭和風の王道だと思ふんだが、巡りあはせが宜しくないのだらうか。

 もつと微妙、六つかしいのはオリオンで、大好きな銘柄なのは間違ひないけれど、ちやんぷるーとポーク玉子とぐるくんの唐揚げがないと落ち着かないし、その後を残波かカリー春雨と島辣韮が引き継がないと、もつと落ち着かなくなる。さういふ慣はしが沁みてゐるんだから、仕方がない。

 

 さて。私にとつて見た目も味はひも、一ばん馴染んでゐる銘柄…詰り巡り潜る呑み屋に置いてある…は、サッポロなんである。ジョッキなら黒ラベル。壜は赤星ことサッポロ・ラガー。飛び抜けた点は何ひとつ無い。勿論まづいわけではなく、どんなお摘みとも喧嘩しない。中庸も中庸。サッポロは星になれなんて云つてゐるのに、醸す麦酒は實にまるい。

 さうさう、百閒先生が半打を平らげた大壜はヱビスださうで、一ぱい目に呑むのは少々こまる。正直なところ、麦酒単体なら、ヱビスの方がぐんと美味い。サッポロの工場見學で呑み較べをした時に實感した。併しヱビスの美味さは、獨立した美味さに近い。或はヱビスと張り合へるお摘みが欠かせない美味さと云つてもよく、気らくさに欠ける。

 もうひとつ云ふ。酒精を呑む時は、かるく穏やかなのから始めて、ずしりと濃厚なのに移るのが、原則…鐡則である。詰りヱビスは二杯目より後が望ましいと判り…この稿の主旨からは、残念なことに外れてしまふ。但しこれは、順序の問題で、ヱビスがいかんのだ、ではないことを、野暮を承知で念を押しておく。

 序でだから云つておきませう。麦酒に限つた話ではないんだが、我が國で醸られる酒精は全般

 「それ自体で美味い」

ことを目指しすぎではないかと思ふ。呑むのと食べるのは、食卓酒席の両輪なのは改めるまでもない。従つてお摘みを拒むやうな(用心してもちつと控へめに、拒みかねないとしませうか)旨さは、鑑評會でなければ、晩年の吉田健一の御膳くらゐしか、似合ひの場所はなささうに思はれる。

 

 話を麦酒に戻し、且つ畳みつつ續けると、吉田は麦酒を然程、重く視てゐなかつた。夜行の急行列車、或はお馴染みの旅館で呑んだ翌朝(それも蒲団の中)で、速やかに呑める便利な飲みものと考へてゐた気配が濃い。私が讀んだ中だと、呉の旅館で呑んだキリン…時代から察してラガーだらう…くらゐしか、挙げてゐなかつたと思ふ。

 旅行、泊つた先で呑む朝麦酒がうまいのは、経験から云つても間違ひない。併しその為には旅に出ねばならず、旅に出るには切符を手配し、ホテルを予約せねばならず、手配予約の後は、實際に足を運ばねばならない。面倒である。その面倒が、仕事やつき合ひや諸々の支払ひから離れる手續きだとは、理解を示せはしても、理解したからと云つて、面倒な気分が減じるわけではない。

 そんなら馴染んだ呑み屋で、卓に着きながら、麦酒をくださいと註文する方が、余程に手早くていい。呑み屋と旅先はちがふでせうと、冷静に指摘する聲が出さうだが

 「仕事やつき合ひや諸々の支払ひから離れられなくて、何の呑み屋だらう(ここ、語気がつよくなつてゐます)」

さう私は思ふ。ゆゑに、最初の一ぱいを軽んじるのは、呑み助を自認する以上、許されない態度なんである。

 

 さて、書くことは書いた。

 今夜はお豆腐入りのもつ煮から始めませう。續けてハムカツと玉子焼きにするか、串焼きの六本盛り(塩)にするかは、赤星を呑みながら、じつくり考へることにする。