閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1246 本の話~イレギュラー

『ライカポケットブック 日本版』

デニス・レーニ(著)/田中長徳(訳)/アルファベータ

 本といふ物体に対して私は、フェティーソを(強く)感じるたちで、折り目をつけたり、書き込みをすることに、どうにも抵抗を感じてしまふ。手擦れでぼろぼろになるのは、ぜんぜん気にならない。それはその本が、何度も讀みかへすに値した證拠だもの。

 

 併し何事にも例外はある。

 この本がさうで、残り少い余命から考へるに、空前にして絶後の一冊になるだらう。簡単に紹介すると

 『ライカ本体とレンズ、アクセサリ、廿世紀末時点での価格の目安(ドル、ポンド及びマルク)に関する資料』

三冊の原書を、この日本版では一冊に纏めてゐる。

 収載はUr/0號からM6、ライカフレックスからライカR7で(M7とライカR8/R9は出てゐなかつた)、銀塩イカの大部分をカヴァしてゐる。それぞれの解説はごく短いけれど、大掴みに掴める程度にはなつてゐる。

 「あくまでも鞄にはふり込んで持ち歩き、偶さか目に入つたライカやレンズに就て、手早く確める」

といふ目的が、たいへん明確に感じられる。ホーヴ社(原書の出版社)の編輯方針か、著者の考へ方なのか、そこは判らないけれど、まことに好もしい態度だと思ふ。

 

 翻訳に就て云へば、ほぼ文句はない。原文はきつとごく簡潔で、讀み辛く訳す方が寧ろ、六つかしかつたのではなからうか。尤も翻訳をした田中は、前書きで原書に関して

 「かなり皮肉めいたジョークを飛ばしたり、またいきなり英語の古語を使ったりするので(中略)、私は後にひどい目にあうことになった」

と愚痴をこぼしてゐる。機器個別の箇所ではなく、各原書の序文がさうなのだらう。苦辛は想像の中として、訳文は相応に讀み易い。元々上手とは云へない田中の文章が、著者のお蔭でましになつた、と考へるのは皮肉めいた態度か知ら。

 対して編輯…構成には不満がある。ことにアクセサリ関聯の箇所。判型や画像の大きさで制限があつたのは判るし、その分は差引くにしても、それでもごちやごちやした印象は拭へない。アルファベータ社は

 「無理なものは、無理である」

さう思ひきつてゐて、それも叉ひとつの判断だらう。原書はちらとしか目にした記憶がないから、比較出來ないのが、何とももどかしい。

 

 それでこの本が何故、例外なのか。

 書き込みをし、蛍光ペンで線を引き、見出しを貼りつけもしてゐて、序でに(画像で見てのとほり)表紙の折り目が破れたところは、セロハンテープで補修もしてある。率直に云つて、實に汚い。他人さまに見せられる状態ではない。

 さうした理由はややこしくも何ともない。ある時期、一年ほど、ライカの知識が求められる仕事をしてゐた、といふ身も蓋もない背景がゆゑである。我ながら殺風景と思ふが、現實はまあ、その程度に収まるものだ。

 詰り私にとつてこの本は、讀みものではなく、"仕事の道具"であつた。恰好をつけると、道具である以上、使ひ易くするのは…常用のリコーGRⅢに、自分向きの設定を施すやうに…当然でせう。その結果が(些か不本意ではあるにせよ)汚い姿なつてしまつたのは、止む事を得ない。

 

 更に恰好をつけるなら、道具扱ひすると決めたのは、井上ひさしの一文の所為である。現物が見当らないから記憶で書くと、劇作家兼小説家は、自分が持つ『広辞苑』は、世界に一冊しかないと自慢してゐた。新しい知見を『広辞苑』で該当する項目に書き加へ、項目自体が無ければ附箋紙で追加もしたからで、すりやあ確かに"世界に一冊"にもなると、感心したのは忘れ難い。

 このポケットブックを贖つて、最初に思ひだしたのが、井上の『広辞苑』自慢だつた。形や眞似から入る惡癖は、この頃から既に確立されてゐたらしい。ライカに関はる本は他に何冊も…たとへば中川一夫の『ライカの歴史』(写真工業出版社)…持つてゐるけれど、判型が大きくて、解説が細かく、その上散文的で下手つぴいな文章が多くもあつて、"道具の使ひ勝手"は甚だ宜しくない。こんな風に考へれば、道具に徹した、書き込みだらけの汚い一冊が手元にあるのも、惡くなささうな気がされてくる。

 

 二冊目は要らないけれども。