閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1250 あれの応用

 コンビニエンス・ストアには、煙草を買ひに行くくらゐしか、用事はないんだけれど、並ぶ序でにお惣菜の類を散らちら見るのは、ちよつとした樂みでもある。

 (何だかよく判らないおにぎりが、出てゐるなあ)

 (罐麦酒のお摘みによささうな、おかずがあるぞ)

そんなことを考へながら、贖ふのは一箱の煙草だから、お店のひとから、儲けにも何にもならない男、と認識されてゐるだらう。裏でキャメル…いつも買ふ銘柄である…の小父さん呼ばはりされてゐても、不思議ではない。

 

 先刻もキャメルを一箱、買ふ序でにお惣菜の棚に目をやると、冷し中華があつたから、心中ひそかに驚いた。かういふのを扱ふのは、文月に入つてからと思つてゐた。

 「冷し中華、はじめました」

 「冷し中華、あり〼」

ラーメン屋と云ふのか、町中華と云ふのか、さういふ幟を立て、或はポスターを貼るのは、大体その辺りでせう。まさか皐月早々、目にするとは…と云つたら、コンビニエンス・ストアの企劃だか開發だかから

 「販賣の時期は、考慮熟慮を重ねた上、決めるのです」

さう指摘されるだらう。こちとら、販賣計劃なんぞは門外漢である。ははあ、さうですかと引き下がらざるを得ない。それに私は、冷し中華が好物だからね、計劃はさて措き、一年中あつてもこまらない。冬に冷し中華か、と笑はれるやも知れないが、暖かい部屋で啜る冷い麺料理も惡くない。大坂の家の年越し蕎麦は、冷すのが常だから、組合せに馴染んでゐる面もあると思ふが…話が逸れさうですね。止めませう。

 

 錦糸玉子。

 木耳。

 細切りの胡瓜。

 細切りのハム…は、煮豚を奢つてもいい。

 酢の効いたたれと練り辛子。

 

 冷し中華を成り立たせる具と云へば、こんなところでせうね。コンビニ賣りのやうに、若布や茹でもやしを加へると、折角の酸みが濁つたり、薄まつてしまふ気がする。

 「いやいや、そんなことはありませんよ」

コンビニエンス・ストアの企劃だか開發だかが再び顔を出して、抗議してきさうにも思ふが、ここで大事なのは、コンビニの意図より、冷し中華と対峙する私の気分である。ことの序でだから云ふと、冷し中華に限つて、紅生姜とマヨネィーズは要らない…寧ろ邪魔になると思ふ。かう云つたら

 「練り辛子はどうなのか」

今度は冷し中華愛好の讀者諸嬢諸氏方面から、問ひ質されるだらうか。辛子に就ては私の場合、ざる蕎麦式を採用してゐるから、心配は御無用に願ひませう。ざるの山葵は、蕎麦に乗せるでせう。あれの応用である。

 

 併しその冷し中華、いつ食べればいいのか。

 朝は勿論、お晝にするのも、何となくちがふ気がする。かといつて、今夜は冷し中華だとも云ひ辛い。

 ごはんにあはせにくく、餃子や焼賣や春巻を添へられても困惑する。そのくせ一品料理として完結してゐるか…ここで云ふのは、食事として成り立つかどうかの意…と考へるに、そこまで届いてゐない感じがする。冷し中華を好みつつ、口にする機會が少いのはきつと、その辺りに原因が潜んでゐるのだらうと、私はすすどく睨んでゐる。

 ここで浮ぶのが、コンビニ冷し中華である。これなら、休みの日の午后、煙草を買ひに出る序でに、気紛れに手に取れる。マーケットに立ち寄つて、罐麦酒と鶏の唐揚げとポテトサラドなんぞを揃へれば、貧でしだらない間食…有り体に云ふなら、晝呑みを樂める。午后の蕎麦屋で、焼き味噌だの玉子焼きだの(或は鴨焼きを奢つて)を摘みに、冷や酒の二合もやつつけ、ざる蕎麦を平らげるのは愉快でせう。あれの応用である。

 

 ここで不意に、コンビニざる蕎麦にカップ酒、マーケットの酢のものに焼き鳥の組合せが浮んできた。コンビニ冷し中華同様、矢張り貧でしだらない晝呑みの友である。といふことは、冷し中華とざる蕎麦は、案外と近しいのだらうか。だとすれば、ざる蕎麦の仕方を冷し中華に応用するのは、筋の通つた手法だと思へてくるのだが、これはまあ、考へすぎといふか、屁理窟にもほどがあると、笑はれるでせうね。