マーケットのお惣菜賣場は危ない。
ことに空腹を感じながら、立ち寄るのがいけない。
何を目にしても、旨さうに見える。
かろく念を押すと、この稿でお辨當は含めてゐない。お辨當はお辨當の枠で、あれこれ悩み撰ぶのが、筋だと思ふ。
と云つてから、改めてお惣菜に目をやると、まあ色々とある。たとへば下に記すやうに。
鶏の唐揚げ。
ポテトやマカロニのサラド。
コロッケ(馬鈴薯や挽肉やクリーム)
ミンチカツ。
ハンバーグ。
鯵フライ。
烏賊フライ。
蛸と胡瓜の酢のもの。
春雨の中華風サラド。
筑前煮。
肉じやが(牛肉が好もしい)
様々な天麩羅。
色々の串揚げ。
焼き鳥(たれも塩も)
白和へ。
鹿尾菜。
菠薐草の胡麻和へ。
金平牛蒡。
とんかつ。
チキンカツ。
ハムカツ。
(肉)野菜炒め。
酢豚。
青椒肉絲。
八寶菜。
焼き餃子。
焼賣。
春巻。
チキン南蛮。
鯖の竜田揚げ。
南蛮漬け。
青菜と厚揚げの炊合せ。
南瓜を甘辛く焚いたの。
ささみを大葉で巻いて揚げたの。
蒟蒻を鷹の爪と炒めたの。
うま煮と称するよくわからない煮もの。
こんな風に挙げたら、こりやあおかず計りだねえ、と云ひたくなつてくるが、なーに、心配は要らない。
ミートソースやナポリタンのスパゲッティがある。
スパゲッティならサラド仕立てもある。
ソース焼そば、塩焼そばがある。
お蕎麦に饂飩に冷し中華がある。
ハムサンドや玉子サンド、カツサンドがある。
中華丼、麻婆丼、炒飯にオムライスがある。
早鮓に助六寿司、散らし寿司。
諸々のおにぎりがあれば、お赤飯だつてある。
(括弧書きで云ふのだが、ここに挙げたのは、お辨當とは位置附けがちがひますからね)
要するに和洋中のオーソドックスから、ちよつとした変り種まで、無秩序…いやヴァラエティ豊かに揃ふのが、お惣菜賣である。それはミートソース・スパゲッティと助六と木耳炒めといつた、どこの料理人が見ても、目を剥くにちがひない組合せを、平然と、或は樂々と成り立たせてしまふ場所、と云つてもよく、詰り危ない。かう書いたら
「ハムサンドと茄子の煮浸しと麻婆豆腐とでも何でも、食べたいものを自由に食べればいいんです」
猛烈に反論されさうな気がする。すりやあまあ、さうなんだが、一方で違和感も残る。ビジネスホテルが用意するバイキング形式の朝めしで、おにぎりとクロワッサンと生野菜とハムと焼き海苔とスクランブルド・エグスと納豆と焼きソーセイジと鹿尾菜とお味噌汁と珈琲とオレンジジュースを、狭いお皿に盛つたひとを見たら、すりやあ如何なものかねえと思ふでせう。あの感じに似てゐる。
これは何なのかと云へば、気儘と無秩序のちがひである。尊敬する内田百閒が、三本の麦酒とソップで魚をやつつけ、その間に肉と野菜と水菓子を平らげ、更にお菓子と珈琲を味はつて、然る後、改めてライスカレーを用意させた、渾沌の極みとも呼べる放れ業で喝采を受けたのは、百閒先生が杉村楚人冠いはく、豪傑だつたからで、我われ凡人が敢て眞似の出來るところではない。
バイキング形式を樂むこつ、といふのを讀んだのを思ひだした。六つかしくも何ともない。前菜から主菜副菜、それからデザートの順を考へつつ撰ぶのが、美味しく且つ満喫も出來るさうで、なーんだ、当り前ぢやあないかと笑つてはいけない。あれこれ並ぶおかずを前に、無闇に昂奮した揚げ句
「どないしたら、エエねン」
卓に乗せたお皿の異様と混乱に、頭を抱へた経験はありませんか。私は何度か…いや何度もある。あの時、この簡単なこつを知つてゐたら、耻かしい思ひをせずにも済んだのに。
まあこの際、終つたことは仕方がない。といふのも、今はビジネスホテルのバイキング式朝食を利用せず、部屋で済ますことにしてゐる。部屋に居れば、朝から罐麦酒やお酒、或は葡萄酒でも好きに呑める。實に具合がいい。その朝めしの分は前日、泊る当日の晩めしと一緒に、マーケットのお惣菜賣場で買ひこむ。ほら、話が戻つてきたでせう。その場で慎重な撰択が求められるのは、云ふまでもない。
第一に、当夜と翌朝を、同じ献立にするのは避けたい。
第二に、お惣菜は飲みもの次第で、撰ばねばならない。
上の條件を満たし、ある程度の方向を定めつつ、決めてゆくのだから、六つかしいよ、これは。何しろビジネスホテルに入る直前だもの、空腹なのも当然であつて、いい匂ひのするお惣菜賣場は、きつと昂奮する。
鯣烏賊の天麩羅がある。
揚げ雲呑がある。
韮とレバーの炒めものがある。
レバーは甘辛く炒めたのもある。
青梗菜と挽肉の炒めものがある。
鶉玉子の串揚げがある。
隣には豚肉と玉葱も串に刺さつてゐる。
山菜の炊き込みごはんがある。
穴子の散らし寿司がある。
早鮓の盛合せには割引シールが貼つてある。
酢豚と海老のチリーソースと青椒肉絲も盛合せてある。
ポテトサラドとマカロニサラドだつて盛合せがある。
チキンの照焼きのサンドウィッチがある。
ね。思ひつくままを抜き書きしたんだが、手当り次第に買ふと、どないせエと頭を抱へるのは間違ひない。
そこで賣場を一周しながら、取敢ず罐麦酒と烏賊フライをやつつけ、煙草を一本、吹かさう。シャワーを浴び、春雨のサラドと串揚げで、罐麦酒をもう一本。お酒に切り替へ、早鮓と揚げチーズ、鯖の塩焼き、蛸と胡瓜と若布の酢のもの。朝は前夜のお酒が残る筈だから、それと罐麦酒。穴子の散らし寿司にお漬物を摘まうか…などと考へを巡らすんである。
うーむ、我ながら冷静な態度だなあ。
と云つても、奏功するとは限らない。
賣場を周る内、新たに割引シールが貼られてゐたり、見落しに気がついたり、更に空腹の度合ひやら、気分やらが変りもする。それでうつかり、三種の焼き鳥とチキン南蛮、何故だか鯵南蛮漬けと中華丼まで一緒に買つてゐて、そのくせカップ酒を撰んでゐたりして、これぢやあ気随気儘の無秩序だよ、仕舞つたなあと呟くことがある。呟くことの方がもしかすると、多いかも知れない。
うーむ、なんとも矛盾してゐる。
併し云ひ訳は、出來なくもない。
要するにマーケットのお惣菜賣場が、バイキング形式といふか、スメルガスボード風といふのか、誘惑の多い場所だからこまるのだ。この稿では省いたお辨當(たとへば私好みの幕の内辨當)を含めると、何もかもがもつと面倒で、ややこしくなるのは、当然であり、確實であらう。ビジネスホテルでの一泊、ひとり酒宴の為でなくとも、普段の休みの前日や聯休中だつて、事情は変らない。
マーケットのお惣菜賣場は、實に危ない。
ことに空腹を感じながら立ち寄ることは。
さう我が身に云ひ聞かせ、これから買ひものに出掛ける。
誘惑に敗けず、無事の帰還を果せるか否か、冒険の結末や如何に。