ねぢマウント・ライカの最終機はⅢfである。
その後に出たのがⅢgである。
丸太は何を云つてゐるのか、判らない。と思つた讀者諸嬢諸氏は、眞つ当な感覚をしてゐる。
マニヤではないひと向けに、ここで説明をちよいと、入れておきませう。
Ⅲfから大幅な変更を加へたM3が出たのは昭和廿九年。バヨネット・マウントとブライトフレイム、レヴァ式の巻き上げ、一軸式のシャッターダイヤルの採用は、いづれも世界初ではなかつた筈だが、それらを精度高く纏めた点で、M3は群を抜いてゐた…らしい。らしいと云ふのは、この機種が登場した時、私はまだこの世にゐなかつたからである。ぢやあM3は登場と同時に、大成功を収めたかと云ふと、どうもさうではなかつたらしい。
第一にバヨネット・マウントのレンズまで、十分に手がまはつてゐなかつた。その点をライツ社が理解してゐたのは、アダプタを出し、ねぢマウント・レンズを使へるようにしたからで、これは従來の顧客への配慮でありつつ、新レンズが足りない事情への対処でもあつた。
第二にその大きさ重さが、Ⅲfユーザから反發を受けた(らしい)点を挙げておく。この頃から、ライカのユーザは保守的な傾向がつよかつたと思へる。単にほいほい手を出せる価格でなかつた所為かも知れないが、経済的な事情乃至背景までは、よく判らない。
さう云へば、ライカを種にした本には、M3が世に出た当時、これを見た日本の冩眞機設計者たちは
「距離計聯動機で、これだけの精度に辿り着くのは、我われの技術では無理だ」
驚愕して一眼レフへ大転換したと書いてある。それは本当なのだらうと思ふが、M3のスタイリングはどう評価したのだらう。佐貫亦男は後年の本で、手厳しく(あくまでスタイリングに就て)論評したが、当時の冩眞雑誌だの何だのでは、どうだつたのか知ら。少くとも、Ⅲfのスタイリングに指も掌も目も馴染みきつた人びとにとつて、劃期的で斬新に映つたのは間違ひないとして、どれだけのひとが、優れてゐると評したらう。必ずしも芳しいだけではなかつたと思ふ。
ライツ社がⅢgを出したのは、M3の發賣から實に三年も過ぎた昭和卅二年である。背景の想像が膨らむねえ。
さてそのⅢgを、Ⅲfの直系と呼ぶのは少々躊躇はれる。
ブライトフレイムを(半ば無理やり)組み込み、フラッシュのシンクロも自動になつた。いづれもM3で採用した機能のフィードバックである。
「かういふのが、お好みですか」
さう云ひたげな仕様だなあと思ふが、それをわざわざ設計し直し、高いお金を掛けて金型を造つたのだ、当時のライツ社に、どれだけ余裕…金錢は勿論、心理的な…があつたか。要するにⅢgは
「Ⅲfに到るまで、ライツ社が培ひ續けた技術と筐体に、M3の新機軸を織り込んで」
造られたと見るのが、ライカ史としては、妥当な位置附けと思はれる。それでⅢfがねぢマウント・ライカの最終機、その後に出たのがⅢgといふ冒頭に戻り、説明がちよいとではなくなつてしまつた。
ライカのねぢマウント・レンズを、存分に使ふ為にライカを撰ぶなら、このⅢgが最良の撰択になると思ふ。前記の佐貫亦男は、この機種が非常に気に入りだつたらしい。キヤノンの28ミリか、90ミリ(エルマーだと思ふが、明確に記されてゐない)を使ひ、前者用にはファインダを附け、後者は内藏のブライトフレイムを使ふ。50ミリは最初から持ち出さない。成る程、合目的的だなあ。
但し佐貫の意見には、不思議な点もある。かれはM3のスタイリング、ことに正面から見た時、ブライトフレイムと距離計の窓、灯り取りの窓の大きさが不揃ひなのを、なつてゐないと批判してゐた。尤もである…と説得されつつ、Ⅲgを正面から見ると、Ⅲfまでは軍艦部が一体だつたのに、ファインダ部分が獨立した箱のやうになり、更に灯り取りの窓が、嵌め込まれてもゐる。率直に云つて、不恰好になつた。
確かにⅢcで完成したねぢマウント・ライカのスタイリングが、Ⅲd/Ⅲfで崩れたのは事實である。そこは認めるとしても併し、その崩れ具合は、よく見て考へればといふ程度で、ⅢfとⅢgほど、大きなちがひではなかつた。佐貫亦男がその点に気附かなかつた筈はない。
「不恰好になつたけれど、許容せざるを得ない」
「不恰好になつたけれど、必要な変化であつた」
Ⅲgのスタイリングを、あの技術者はどう評価してゐたのだらう。気に入りの分、あまくなつてゐたかも知れず、仮にさうだつたとしても、微笑ましい。
繰り返しになるが私はⅢgを、不恰好ではあるが、ねぢマウント・レンズを、存分に使ふ最良の撰択、と考へてゐる。因みに云ふと、生産台数は四年間で約四万台…Ⅲb/Ⅱfよりやや多く、Ⅱcのほぼ倍くらゐだから、漠然とした印象より、多く造られてゐる。然もM3が出た後に賣れたのだから、大成功と云つてもいいでせう。ライツ社はきつと複雑な気分で、賣行きの推移を見たのだらうな。
實は偶に慾しいなと思ふ。ねぢマウント・ライカを積極的に撰ぶなら、Ⅲcが筆頭になるのは確かだけれど、Ⅲgを
「クラッシックとモダーンを、覚束ない手つきで、融合させた機種」
だと見立てれば、不恰好も魅力に転じる…正確を期して云ふなら、転じるのではないかと思へる。云ひ訳序でに、實用の部分に触れると、ブライトフレイムは無いが、ファインダ枠全体が35ミリに相当するといふ。ライカなら、50ミリや28ミリより、35ミリの具合がいい。
Ⅲgに(時々)惹かれる理由を、もうひとつ。ライツのレンズに、拘泥しなくてもよささうに思へる。35ミリに限つて云ふと、ライツ製はエルマーとズマロンくらゐ。キヤノンやニコン、名も知らぬ國産メーカー製。ソヴェトその他外ツ國製。Ⅲf以前の機種に、さういふレンズ群を附けると、何とも云ひにくい違和感が出るものだが、Ⅲgだと
「ライツのレンズは、M3なり何なりに附けて、Ⅲgは意図的に崩し使つてゐるのだな」
さういふ(気分の)演出が出來(さうな気がす)る。ライカ史上最初で(おそらく)最後の特異な出自と、コレクターズ・アイテムにはならない程度の台数、それからちよいと不細工なところが、きつと私にさう思はせるのだらう。かう云つて
「君はライカ(のスタイリング)を、理解してゐない」
咜りつけてくるのは、ライツ社(当時)の社員か、泉下の佐貫亦男か。どちらにしても不穏ではあるけれど、クラッシックとモダーンの(覚束ない)融合とも評してゐるのだから、その辺は御寛恕願ひたい。