閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1256 揚げ出しと木の匙

 呑みに出て、空腹ではあるのに、獸肉…鶏の唐揚げや、ミンチカツは慾しないといふ、面倒な気分の夜がある。我ながらややこしくて、いけない。そんな時、お品書きに見つけて嬉しくなるのが、揚げ出し豆腐である。しつつこいのに、淡泊でもあり、麦酒や焼酎ハイは勿論、冷や酒にあはせば、もつと嬉しくなる。

 

 該当する箇所を探すのが面倒だから、そこはすつ飛ばす。荷風が断腸亭で、𠮷原帰りの上野で、錢湯に入つて白粉の匂ひを落してから、揚げ出しを食べ、朝酒を呑んだと、懐かしげに記してゐた。早朝なのは念を押すまでもない。游びに興じた人びとを相手に、商ひが成り立つたことになり…これが都市の器と云つたら、きつと咜られる。生眞面目な方向は、生眞面目な研究者に任せませう。

 

 「お豆腐に衣を纏はせ、揚げたのを、つゆで」

食べ(させ)るのが、揚げ出しと呼ぶさうで、大根おろし、葱と生姜を添へるのが、基本だと思ふ。なので衣の使ひ方や、つゆの工夫で、味はひが変る。身も蓋も無く云ふなら、上手下手が判り易い。呑み屋のお品書きにあれば嬉しいのに、さうさう見つからないのは、下拵への手間もあるだらうが、こつちで思ふより、六つかしいからではなからうか。まつたくのところ、料理を商ふ立場でなくてよかつた。

 

 こんなことを云つても、若い胃袋の讀者諸嬢諸氏には、理解しにくからうか。

 「そんなのより、串かつや焼き鳥の盛合せ、サイコロステイクの方が、いいに決つてゐるよ」

 気持ちは、判る。私は寛闊な男だから、止めもしない。ハムカツや蛸の唐揚げで、呑みたくなることもある。併しさうではない時…夜もあるし、年々歳々、さうふいふ時、夜が増え、揚げ出しが好もしく思ふことになるのです。まあいづれ若い胃袋の讀者諸嬢諸氏にも、得心する日がやつてくる。

 

 揚げ出しが無ければ、厚揚げを撰ぶ。こつちはお豆腐の素揚げですね。生姜と葱、削り節、それから醤油。衣もつゆを使はない分、揚げ出しより作り易いのか、目にする機會は多くなる。念を押すと、揚げ出しの代用ではありませんよ。一体私は、お豆腐とお豆腐を使つた食べもの…たとへばお豆腐と油揚げのお味噌汁…が好物なんである。舌が大豆に侵されてゐるだけ、と云ふべきか知ら。

 

 揚げ出しに戻りませう。木の匙で食べたいものだ。と云つたら、實像の私を知る数少い讀者諸嬢諸氏は

 (すりやあ丸太は、お箸を使ふのが下手だからなあ)

と頷くにちがひない。その点を認めるのは吝かでないが、お豆腐…冷奴でも湯豆腐でも麻婆豆腐でも…は、木匙で食べる方が旨い。お豆腐のやはらかさと、木の唇あたりが、よい相性なのだと思ふ。馬手で盃をふくみ、弓手の匙で掬へば、醉ひが多少まはつても、取り落す心配は(少)なからう。

 

 尤も游蕩帰りの荷風(と、かれの惡友)が、匙を使つたかどうか、そこまでは知らない。