閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1260 ルースに使ふ"標準"ズーム

 ライカ判への換算で

 五十ミリ画角を含み

 廿四ミリ前後の広角から

 七十から九十ミリの望遠

 この辺りをカヴァ出來るズームレンズを、"標準"ズームと呼ぶ…この稿では…一応附きで。一応と云ふのは、"標準"の画角は五十ミリとの前提が、無條件に成り立つてゐるのが、気に入らない。GRⅢを常用する私に云はせれば、"標準"の画角は廿八ミリだもの。

 とは無論、屁理窟である。

 身も蓋も無く云ふと、五十ミリが"標準"扱ひされる切つ掛けは、ただの偶然だつた。事情を説明するのは、面倒だから省く。ライカ判の"標準"レンズ…規格は、ライカ判のフォーマットから、手探り且つ結果論的に決つていつた、とだけ云つておかう。

 

 "標準"ズームの扱ひは大体、かるい。私が云ふのは、キットレンズなどと称し、本体とセットで賣られてゐるやつ。大体の場合、高性能でないのは勿論だし、造りは安つぽくもある。すりやあ軽く扱はれもするだらうさ。

 とは云へその"標準"ズーム、使へないほど、酷い性能でないのも、一方の事實である。も少し踏み込むと、スポーツや乗りもの、或は開けた風景だの天体だの動物だのを、撮らうとしない限り、格別の不満は出ないと思ふ。

 要するに。カメラをルースに持ち出す時、ルースに附けておけば、ルースに使ふ八割…九割は無難に撮れる。だから"標準"ズームなのだな。かういふ一本は、持つてゐて損にはならない。新品なら多分、"ズームキット"とか何とか、そんな名前で用意もある。

 

 手元の"標準"ズームは、マイクロフォーサーズの二本。

 一本はかなり旧い。造りは比較的しつかりし、その分やや大振り。もう一本は沈胴式で、かなりコンパクト。プラスチックを多用してゐる分、非常に軽くもある。尤も仕上げはまづく、いかにも"現代の廉価なレンズ"な感じがする。

 使ふ頻度が高いのは後者。ライカ判で廿四ミリ始まりなのと、ズーム比率を慾張つてゐない…三倍足らず…構成のお蔭で、画角の変化を持て余さずに使へるのが有難い。沈胴式は撮る時、レンズを引き出す動作が必要になるが、私は速さに重きを置かない男なので、そこは目を瞑つてゐる。

 

 大して嵩張らない。

 大して重くもない。

 

 それで冩りに大きな不満を感じもしない。撮りたいものが明確なら話はちがはうが、私はルースな心持ちでルースに持ち出し、ルースにぶら下げて、気が向けばルースに撮る時のことを云つてゐる。さういふ場合、"標準"ズームを鞄の隅にはふり込み、或はボディキャップの代用にして、損にはならないと思ふ。かう書くと

 (ルースルースと、しつこいなあ)

呆れられるかも知れないし、カメラを持ち出し叉撮る時は、それが"標準"ズームでも何でも

 「いつだつて、シリアスな気持ちであるべきですよ」

寧ろはつきり、反論されるかも知れない。眞面目な態度だと思ふし、その眞面目な態度のまま、眞面目に冩眞を撮り續けてほしいとも思ふ。残念ながら私は、そのシリアスな緊張感を一日、保てなくなつた。かと云つて撮らない、撮りたくないのでもない。さういふ漠然…詰り(叉も云ふと)ルースな心持ちにこそ、"標準"ズームは似合ふと、私には思へる。

 

 何しろ、新しく贖はなくても、直ぐに使へることだし。