陋屋の近くに中華(風)居酒屋がある。
お晝は定食やラーメンを食べさせる。
決つたメニュ(酢豚定食や坦々麺)もあるけれど、定食は週替り、麺類は月替りで、色々と用意してもゐて、私はそちらを好む。
とは云へ、暫く足が遠のいてもゐた。
これはごく単純に、開店当初は七百円だつたのが、七百五十、八百五十を経て、一ぺんに千円まで辿り着いた所為。
まあこの間、武漢發と覚しき感染症の大流行があり、更に原材料費や燃料費の高騰が重なれば
「すりやあ、止む事を得んわなあ」
さうは思ふ。思ひはするが、足繁く通ひたい値段、とは云ひにくくなつた気分も、一方にはある。そこで
(旨さうに思へる…ここには千円超でもかまはない、といふ意味も含まれる…、週替り月替りのメニュを目にしたら)
食べることにすればいいと考へた。我ながら、せせこましいと思はなくもないが、どうも呑まないお晝に、千円を超す値段は出し辛い。
こつちのお財布事情も踏まへ、お店の前に出す、ランチメニュを注意深く見る。併し旨さうには思へても、千円を超すくらゐ旨さうとは思ひにくい。そこでは何度か、食べたことはあり、まづいものを出さないのは知つてゐるが、まづいものを出さないことと、千円超の値つけに得心出來るかどうかは、話がちがふ。意地の惡い云ひ方になるが
「附けたアる値段分、うまアないと、こまるなあ」
などと考へてしまふ。満足を感じる閾値が、高くなると云つてもいい。慌てて念を押すと、別のお店の別のメニュの値つけでも、かういふ気分になることはある。
さて某日。
月替りの麺類には、"特製 肉ワンタン麺"とあつた。
ただのワンタン麺ではない。
肉入りワンタンではなく肉ワンタン。
然も特製である。
尊敬する吉田健一が、上等のワンタンに就て触れた一節があつた。しつかりした皮。はち切れさうに詰められた挽肉。熱い湯気の立ち上る器。一筆書きのやうな描冩だつたと記憶するが、ワンタン乃至雲呑の字を目にすると、何となく思ひだす。"特製 肉ワンタン麺"で、聯想しなかつた筈はない。
暖簾をくぐつて、席に着きながら、"特製 肉ワンタン麺"をお願ひしますと云つた。細打ちか手揉みかを撰べる麺は、何となく手揉みにした。私以外にもお客が入つてゐるのは勿論で、何とか定食とか、何やら麺とか、何々炒飯とか、色々註文が出てゐる。繁昌してゐる様子は、まことに芽出度い。
待つこと暫し。"私の、特製 肉ワンタン麺"が出來た。
白髪葱。
若布。
鳴門巻…は、些か感心しなかつた。見た目も歯触りも適はないと思ふ。細切りの支那竹では、いけないのか知ら。
先づソップを一口。
續いて麺を一啜り。
このお店獨特の、おつとりした味が好もしく、ソップと麺の相性もよろしい。
さあそれでは、特製の肉ワンタン…一粒は肉団子くらゐの大きさ、それを薄手の皮を広々と使つて包んだのを囓る。熱い。当り前である。中華料理特有の調味料香が、鼻を擽るけれど、扱ひは控へめ。下拵へがしやんとして、ぼそぼそした感じはまつたくせず、詰り
「附けたアる値段分、うまいやンか」
聲には出さず(他のお客の迷惑になるからね)、さう思つた。それから蓮華に乗せた麺とソップ、ワンタンに、酢や辣油を滴し、味の変化を確めてみた。酢はソップに、但し酢や辣油に頼らなくても、十分にうまいのは、改めるまでもない。
主役である特製肉ワンタンが、四つか五つ、入つてゐたことは、まつたくのところ、感心した。麺料理は獨立した一品といふより、他の一品との組合せで成り立つ性格がつよいと思ふんだが、我が"特製 肉ワンタン麺"では、その特製肉ワンタンが、組合せられる何かの役を果してゐる。ソップまで残さず平らげて、御馳走さまを云つた。附けたアる値段より、美味かつた。所謂支那料理の雲呑とは異なるけれど、この味と量なら吉田健一だつて、悦ぶにちがひない。