閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1263 正解のないポテトのサラド

 呑み屋…それも一見に近い呑み屋で、まあ外れないお摘みと云へば、ポテトサラドだと思ふ。中には

 「手を抜きやがつたねえ」

さう苦笑したくなるのも、無くはないけれど、食べられないほど酷い出來にあたつたこともない。但しそれを目当てに、通ひたくなるポテトサラドにも、出會つた記憶がない。安定はしてゐる分、突出はしにくいのだらうか。

 

 胡瓜。

 炒めた玉葱。

 人参。

 ハム乃至ベーコン。

 酸つぱい林檎、時節によつては八朔。

 

 ポテトサラドの基本的な具は、私にとつてはこれくらゐ。かう云つたら、ポテトサラド愛好家であるところの、我が讀者諸嬢諸氏から

 「林檎(八朔)は要らないと思ふなあ」

 「黑胡椒を挽かないのは、いけませんよ」

 「枝豆を入れるのも、面白いものです」

 「ツナやサーディンの罐を、オイルごと使ひませう」

様々の意見が卓一杯に並べられるだらうことは、容易な想像である。その辺りに踏み込めば、愉快なのは判るけれど、纏まる話もとつ散らかる。ここでは取り急ぎ、レタースを敷き、トマトを添へた器に盛つたポテトサラドが出たら

 「上々な滑りだしの、酒席ではありませんか」

穏やかな態度で云ふに留めたい。

 そこで上の画像を見てもらひませうか。

 ここから、前言は色々、引つ繰り返りますからね。

 いつだつたか、都内某所の立呑屋で食べたポテトサラド。五百円。お品書きを見た時は、正直に云つて

 (中々、エエお値段、附けたはりますなあ)

と思つた。それでも註文したのは、更に以前、ここで食べたお摘みが美味しかつたのを、思ひだしたからである。外れはせンやろ、といふ期待はあつた。

 それが上の画像。

 

 大冩しなのは半熟卵。ポテトはその下に隠れてゐて、ベーコンやクルトン(なのか知ら)、粉チーズがあしらはれ…何か足りないと思つたら、マヨネィーズとマスタードが、別のお椀で供されて

 「ははあ。さういふ趣向なのですね」

 「趣向といふか…何しろポテサラには、正解がありませんから。お客さんにお任せしてしまはうと」

 正解がないとは、巧いことを云ふねえ。感心しながら、添へられた木の匙で半熟卵を割り、お箸でマヨネィーズとマスタードをまぶして口に運ぶと…すりやあ流石に、まづいとは云ひにくい。巧妙だねえ。

 

 とは云へ、元の出來が惡ければ、どうしたつてまづい。その不満が無かつんだもの、素直に美味いのだと考へて、誤りにはなるまい。詰りひとつの正解の形。それにもうひとつ、マヨネィーズにほんのちよつと、手を加へてゐさうな気がされる。尤もこちらに関しては、少し醉つてから食べたこともあり、記憶が曖昧で、勘違ひの可能性も少からずある。従つて体調を改めて、確めに行かなくてはなるまいと思つてゐる。