閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1264 何故だかそんな口の安蕎麦

 何がどうして、さうなつたのか、よく判らないんだが、ここ数日、口が蕎麦になつてゐる。それも二八の八が小麦のやうな、所謂立ち喰ひ蕎麦。

 眞つ当な蕎麦屋の眞つ当な蕎麦を、拒む積りでないのは勿論である。板わさやら焼き味噌、或は玉子焼きで冷や酒を一合か二合。それからもりを一枚だつたり、鴨南蛮だつたりなんて、實に魅力的ではないか。

 それはまことに御尤もとして、一方、慌ただしく啜り込む春菊天や掻き揚げ、或はたぬきや月見なぞには、"眞つ当な蕎麦屋の眞つ当な蕎麦とは異なる"立ち喰ひの魅力があると思へるし、さう思(つてしま)ふと、我慢は六つかしい。

 仕事場ちかくの、立ち喰ひ蕎麦屋を探した。富士そば箱根そば本陣は二軒づつ。ゆで太郎とよもだそば、新和そば、嵯峨谷はある。梅もとはどうだつたか。ちよつと歩けば、だるまそばと長寿庵もある。まあ数としては少くはない。

 尤も正直に云つて私は、一ぱいの立ち喰ひに、五百円以上を遣ひたくはない。たぬき、月見、きつね。流石に春菊天と烏賊天と掻き揚げにまで、五百円以下は求めないが、それでも立ち喰ひ蕎麦に出せる値段は、六百円が上限だと思ふ。

 といふ前提で、仕事場近辺の立ち喰ひ蕎麦屋を見廻すと、意外なくらゐ、撰択肢が少いから…家賃の所為か…驚いた。事情は色々あるのだらうが、それでも立ち喰ひの種もの蕎麦に、七百円も八百円も払ふなら、当り前の蕎麦屋で、もりの一枚を啜る方が望ましい。ただ、今の口は何故だかは知らないが、二八の八が小麦のやうな蕎麦になつてゐる。

 それで上に挙げた蕎麦屋の一軒に潜り込んで、天麩羅蕎麦を平らげた。まづくはないけれど、それだけだつた。

 なので別の日、別の蕎麦屋に潜り込んで、たぬき蕎麦を平らげた。惡くなかつた。たぬきにしては割高だつた。

 何と云ふか、實に中途半端で、こまるのだな、かういふのは…とぼやきたくなる。併しぼやいたら

 「そんなら自分で蕎麦を茹で、適当な蕎麦つゆに、好きな種を乗せたら、解決ですねえ」

 と考へ、或は

 「どん兵衛天そばか、緑のたぬきに、一手間二手間くらゐなら、きつともつと安直です」

 などと云ふひとが出るだらう。

 

 それはそれでその通りとして、ただそれらは眞つ当な蕎麦屋の眞つ当な蕎麦は勿論、立ち喰ひ蕎麦とも異なつた樂み…食べものだから、この稿を書いてゐる私の口には、適つてゐない。我が儘な態度である。その点を認めるのは吝かではないが、食べるといふ行為から、我が儘を省けもすまい。

 さて(ここで)(やうやく)(改まつて)、私は立ち喰ひで何を食べたいかとの自問に到つた。つらつら考へるに、どうやら今は、天玉蕎麦を望んでゐるらしい。立ち喰ひ蕎麦ではおそらく、最上級の地位を占めると思ふ。何しろ天麩羅…正確には掻き揚げと玉子だもの、えらいに決つてゐる。その分…詰り二種の種を使ふ分、値段に跳ね返つたところで、これはまあ止む事を得ない、と思ふ。

 後はこれから立ち喰ひ蕎麦屋に足を運ぺるタイミング、その時の空腹の具合、それから何より、口が天玉蕎麦のままかどうか次第なので、次の回、"何故だかそんな口を満足さした天玉蕎麦"などと題せるか、保證は出來かねる。