[曖昧映画館]で以前、取り上げた『沈黙の戦艦』唯一の續篇である。わざわざ"唯一"と添へたのは、スティーブン・セガール主演のアクションには、軒並み"沈黙の~"と邦題が附けられ、"沈黙シリーズ"とも称されたからで、併し"戦艦"以降の"沈黙の~"に関連性はまつたくない。
『沈黙の戦艦』で、大暴れしたケイシー・ライバックは今回、豪華な特別急行列車の乗客になつてゐる。兄の葬儀に出席するとか、そんな理由。同じ列車にはライバックの姪も乗つてゐて、大人ぶつた、生意気な小娘だが、ライバックとは直ぐ、一応の和解に到る。兄の葬儀も、小娘も、特別急行列車といふ"閉ざされた空間"に、セガールを招く小道具、マクガフィンと考へていい。
さて。
ライバックと姪つこが乗つた特別急行列車には、軍事機密を抱へた一団(政府か軍かの関係者たち。かれらも叉、マクガフィンである)も乗つてゐた。
と書けば、後は大体、想像がつくでせう。その機密を狙ふ惡党がゐる。聯中が列車を占拠する。乗客は人質になる。人質の中に姪つこもゐる。併しセガール訂正、ライバックは何故か、その場に巻き込まれない場所にゐた…。
生意気な姪つこは人質にされながらも、最後までケイシー叔父さまを信じるし、豪華列車で働く黑人青年は、ライバックのよき協力者になる。それに惡党はあくまでも惡辣。手酷い目にあつたところで、同情の念は感じずに済む。
ほら。
前作とまつたく同じ筋立てである。我らが主人公も前作同様、神出鬼没にして縦横無尽。次々に惡党の手首を折り、腕を折り、序でに首根つこもへし折る。最後は惡党聯中の親玉と一騎討ちに臨み、多少の手傷は負はされるが、勿論勝つ。
「キッチンぢや、敗けたことはないんだ」
前作の設定を明確に引き継いだのは、ケイシー・ライバックの名前と、この科白(『沈黙の戦艦』で、かれは優れたコックと設定されてゐる)だけだと思ふ。詰り戰艦での暴れつぷりは知らなくても、まつたく問題はない。
いい加減と云へば、まつたくいい加減。
単純明快で簡単明瞭、痛快ながら安直。
よくもまあ、企劃か通つたねえと云ひたくなる。無理やり弁護すれば、かれの合気道を基にした体術…所謂"セガール拳"が、うけたとは考へられる。
余談ひとつ。
アメリカンなアクションは、前提に銃とボクシングが濃厚にあつたし、今もある。さう考へるに、スタイリッシュで、オリジナルなアメリカン・アクションは、GUN-KATAだけではないかと、私は半ば本気で思つてゐる。
余談終り。
ところでその"セガール拳"、米國人の大雑把な体捌きに較べれば、ぐつとスマートな上、ジャッキー・チェン流の演劇的な色彩の濃い、ホンコン・スタイルのコミカルなカンフー(あれも叉、凄かつたけれど)とも異なつてゐた。カラテでなく、ジュージュツともちがふ、オリエンタルでエキゾチックな動きと云つていい。この辺を大事に扱つたら、"沈黙シリーズ"は、ジャック・ライアンのやうに、"ケイシー・ライバック・シリーズ"へと転じたかも知れないのに。
いや。セガールは(云つちやあ何だが)、随分な大根役者だから、ライバックものを續けても
「他のセガール映画と、どう違ふんだらう」
さう苦笑混りに、 批評されたらう。その点から見れば、"沈黙シリーズ"とは、言ひ得て妙といふべきか。そんならこの映画にも、"沈黙の特急"とかなんとか、邦題をこぢつけてもらひたかつたけれども。