閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1274 大出世のタルタルソース

 以前から何度となく、書いてゐると思ふんだが、気にしないで叉、書くことにする。

 タルタルソースに就てである。何故気にせず書くかと云へば、タルタルソースを私はたいへん好むからで、こんな場合に他の理由があるものか。

 

 鯵フライに適ふ。

 鶏の竜田揚げに適ふ。

 白身魚のフライに適ふ。

 牡蠣フライに適ふ。

 竹輪の磯辺揚げにも適ふ。

 ハムカツは…やや、微妙ながら、チキン南蛮だと欠かせない、欠かしてどうするくらゐと云つていい。

 

 有り体に云ふと、マヨネィーズをあはす料理なら、タルタルソースに切り替へて、何の不都合もない。マヨネィーズを基にしたソースの(もしかすると最高)傑作と断じたところで、異論は出ないだらうと思ふ。

 

 十九世紀の遅くても半ば頃には、一応の完成に到つたらしい。基になるマヨネィーズの完成から、おほむね百年が過ぎた後になる。随分のんびりだなあ、と笑ふのは簡単だけれど、廿一世紀とは、情報の伝達速度が丸で異なることを我われは、考へなくちやあ、いけません。

 その辺の併し経路は判然としない。フランス人が、大きく関つたのは間違ひなく、かの國の料理人は矢張り、ソースにひとかたならぬ情熱を注ぐのだな。尊敬する吉田健一によると、フランスで料理が發達したのは、畢竟あすこで獲れる肉や野菜の類が、それ自体は大して美味くなく、調理法やソースに注力せざるを得なかつたからださうで、冗談も相当の濃度で含まれてゐるにせよ、巧いことを云ふと思ふ。

 とは云つても、必要に迫られて作つたソースに、工夫を凝らし、洗練を重ねたのは、フランス人が

 「うまいものを、食べたい」

と強烈に求めた證拠と結果で、我われはその食慾に手を拍ちたい。尊敬する檀一雄は既に、ひとが棲む土地には、必ずうまいものがある…人間は、さういふ生きものだから…と喝破してゐた。マヨネィーズからタルタルソースに繋る百年を、その實例のひとつと見ても、誤りにはなるまい。尤もフランス人の慾求と工夫の成果が、我が國にきたのは、随分と遅かつた。

 

 昭和四十一年霜月十四日

 日附けまで明示出來るのは、キユーピーによる家庭用タルタルソースの販賣が、この日だからで、"タルタルソースの日"も、これに因んでゐる。西洋料理のレストランや、ご家庭個々には、それ以前からあつた筈だから、ここでは

 「日本での公式なデヴュー」

霜月十四日だつたのだなと考へておかう。詰りこの稿を書いてゐる今、タルタルソースは、オフィシャルなデヴューから、六十年足らず。マヨネィーズの日本公式デヴューが、大正十四年、ウスターソースの公式デヴュー日ははつきりしないが、明治期まで遡れることを思ふと、この國のタルタルソース史が、ひどくわかいことに就て、もつと驚いていい。

 勿論それで、タルタルソースの名誉に、傷がつくものではない。何しろ日本では、醤油と味噌の双璧が強い…いやあからさまに、強すぎる。ウスターソースもマヨネィーズも、御先祖の食卓に馴染むまで、相応の時間を要したのだ。六十年に満たない間に、先輩の西洋ソース並みとはゆかないが、一定の地位を占めるに到つたのは、寧ろ誇つていいと思ふ。

 

 では何故、急激に…日本の調味料史を見れば、六十年なんて、ごく最近である…出世したのだらう。

 勿論、キユーピーの果した役割は、小さくない…といふより、巨大である。タルタルソースだけでなく、マヨネィーズの日本公式デヴューも、あの會社があつてこそだつた。詰り我われの御先祖と、西洋風の食べ方を結んだキユーピッドと呼んで、大きな誤りにはなるまい。

 もうひとつ。タルタルソースは"マヨネィーズに、あれやこれやを混ぜ入れて"出來るといふ條件を忘れてはいけない。

 玉葱や大蒜を始めとする色々な香味野菜。

 マスタードなどの香辛料。

 塩揉みの胡瓜、ピックルス、或はたくわんだの柴漬けだの辣韮だのを刻み入れ、ケチャップでもチリーソースでも醤油でも味噌でも、好きに調へられる。基がマヨネィーズだから、誂へ方を多少、失敗つたつて、何と云ふこともない。西洋風…洋食(たとへば海老フライ)が、食卓の定聯へと進出する中、その姿が様々に変化し叉、その地位も徐々に上がらなければ寧ろ、不思議であらう。

 

 さてここで我われは、タルタルソースがそれ自体で、食べものの一種になることを、思ひだしたい。うで玉子を粗く潰したのを加へれば、それで十分お摘みになるもの。他國は知らないが、もしかしてタルタルソースをおかずとして消費するのは、我われくらゐではないかと思へなくもない。木の匙で掬ふのが、うまいんですよ。

 併しタルタルソースを直かに樂むなら、木匙より白身魚のフライ。でなければ、チキンカツが好もしい。どちらも淡泊で、タルタルソースの濃厚を邪魔しないところがいい。ぢやあ何の為かと云へば、先づ歯触り、それから衣。この時の衣には、フライやカツを覆ふのでなく、タルタルソース側…云はば具の役割を果してもらふ。いちいち揚げるのが面倒なら、マーケットの特賣を買つたつて、一向にかまはない。現に私はさうしてゐる。

 外に出るのも面倒な時は麵麭を使へばよい。厚切りの食パンに切れめを入れ、そこにタルタルソースを詰め、かろくトーストしたら、朝の軽食は勿論、晩酌の喜ばしい一品にもなる。庖丁を持つのも億劫なら仕方がない、食パンを(これも矢張り)かろくトーストしてから、タルタルソースをどつさり乗せ玉へ。スプンを使ふくらゐ、我慢出來るでせう。私だつて平気だもの。

 

 麦酒、葡萄酒、焼酎ハイ、その他諸々、お好みの一ぱいをやつつけつつ、白身魚フライだのチキンカツだの、或は竜田揚げや磯辺揚げを目にすれば、その隣に大きな器に盛つたタルタルソース(それから木匙)があつて、それらは完成するのだと、すつきり理解出來るでせう。私たちはその理解と共に

 「タルタルソースも、随分に出世したなあ」

言祝ぐくらゐの心持ちで臨みたい。私はこれからマーケットに出掛け、お惣菜二つ三つ、買はうと思ふ。今夜はタルタルソースを摘みに、晩酌を樂まう。