閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1275 胸痛碌(4)ジョッキとグラス

 小沼先生からきつく御達しを受けてゐるのは、禁煙の一点のみ…ステントが詰つたら、命取りになるですよと脅迫、ではなく警告されてゐる…である。

 

 有難いことに、お酒…アルコール全般…に関しては、格別の制限を受けてゐない。正確に云ふなら、一応の上限…アルコール度数によつて変動するけれど…は設定されてゐても、ヰスキィやウォトカは駄目だとか、焼酎は黑糖のお湯割りに限るとか、そこまで厳密に考へなくてもいい。

 

 もうひとつ。入院中の食事は"減塩食"だつたが、その点に就ても、特段の指示禁令は出てゐない。これは、そこまで細かく…お味噌汁はお椀に半分とか、蕎麦つゆ饂飩つゆは干さないとか…対処をしなくとも(少くとも)(今のところは)よい、と解釈してゐる。この解釈がばれると、御達しが怖いから、確めてはゐないけれど。

 

 さうなると、外で呑んで平気か…醉ひの廻り方や残り具合、そもそも美味いと思へるかどうかが、気になる。なつてくる。退院してから、陋屋で罐麦酒なんぞは呑んでゐる。併しそれと、呑み屋での身体の反応は異なるだらう。但しどう異なるかは、呑み屋で呑んでみないと判らない…などと考へるのは、呑み助がそんな生きものだからか、私がそんな生きものゆゑか。

 

 それで過日、呑みに行つてみた。

 滞在は一時間かそこら。

 時計をきちんと見なかつたのは、失敗だつたなあ。

 麦酒(中ジョッキ)と焼酎ハイ。

 もつ焼きの盛合せ(六本)と、鶏皮ぽん酢。

 入院前と較べて、呑み喰ひのペースは、どちらも確實に落ち、量も減つてゐる。

 

 さてこれをどう受けとればいいか。何しろ病変の後だもの、自覚は兎も角、どこかで臆してゐたとは思ふ。調子に乗つてはいかんとも考へてゐた筈だから、入院前との単純に比較して云々するのは六つかしい。併しその一時間くらゐで、多少の疲労を感じたのは間違ひなく

 (矢張り、弱つてゐるな)

といふ点に驚きはなかつた。からだにどしんとアルコールが入つて、入院前と変らない方が、寧ろをかしいし、それくらゐは最初から織込んである。それに疲労感は、予想…覚悟してゐたより、小さく思はれもした。であれば、この夜…一ヶ月ほど前…の酒量とお摘みは、からうじて、適切の範囲に収つたといふことか。

 

 實のところ、不安だつたのは翌朝である。

 醉ひが残つてゐないか。いや残るのはこの際、仕方がないとして、厭な、惡い残り方ではないか。

 杞憂だつた。

 今にして思ふと、神経質に過ぎる不安と云へるが、臆病は私の個癖だし、かういふ場合は、引き気味なくらゐが、丁度宜しい。それに杞憂と判れば

 (もちつと呑んでも、大丈夫なんだらう)

と考へても、よささうである。なので別の夜、改めて呑みに出掛けた。義務でないのは勿論で、要するに、もちつと呑みに行きたいと思つたのだから、その程度には回復してゐる…と自分に云ひ聞かせておきたい。

 

 中ジョッキから焼酎ハイ。

 もつ煮(豆腐入り)

 蛸の唐揚げに鶏皮ぽん酢。

 滞在した時間は前回と同じくらゐ。ペースも量もほぼ変らないが、焼酎ハイは一ぱい増えた。これくらゐなら確認済みな上、前回同様に呑めさうだといふ安心感があつてのことかと思ふ。

 

 ところでかう呑みながら、煙草を喫ひたいと思はなかつたのは、我ながら意外だつた。入りこんだ呑み屋は、喫煙出來るお店(喫煙者にとつては貴重である)で、私を知つてゐる小母さんが、灰皿を出してくれさうなのを

 「いや事情があって、止めたんですよ」

留めて憂鬱な気分にもならなかつた。いや多少、恋しさを感じたのは事實ではあつたが、抜け出して筋向ふのコンビニエンス・ストアに走らうとは思ひもしなかつたから、からだが少しづつ、ニコチン抜きに馴れて来てゐるのだと思ふ。これも叉、変化と云つていい。

 

 次の診察の日には、この實績を根拠にして、小沼先生に、ジョッキとグラスを手放すのは困難ですが、煙草は手になくて大丈夫さうですと報告しようと思ふ。呆れられるか知ら。