閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1278 キング・オヴ・焼き魚

 SNSを徘徊してゐると、稀にこの手帖で使へさうな話題を、目にすることがある。最近目にして、話の種になりさうだと思つたのは

 「あなたにとっての、キング・オヴ・焼き魚」

で、成る程これは、意見が様々出さうなお題である。

 

鯖の塩焼き。

鮭の塩焼き(或はバタ焼き)

鯵の一夜干し。

鰤の照焼き。

鰯の塩焼き。

鯛の塩焼き。

鰆の塩焼き。

鮪のかま焼き。

鮎の串焼き。

ほつけの焙り。

柳葉魚の塩焼き。

秋刀魚の塩焼き。

鰰の焙り。

 

 思ひ浮べただけで、私でもこれくらゐは挙がるのだから、日本各地、世界各國には更に多くの焼き魚と、その味はひ方があるにちがひない。ことにスカンジナビアとイベリヤと地中海には、何か隠されてゐるんぢやあなからうか。根拠は丸で無いんだけれど。

 

 私の“キング・オヴ・焼き魚”ですか。

 すりやあごく当り前に、鯖か鮭ですよ。こんな時に奇を衒ふ真似はしない。何せ鯖と鮭なら、どこでも食べられる。不味いのに当る確率もひくい。かう書いたら

 「えらく消極的な理由を云ふなあ」

呆れられさうにも思ふが、これは両者の味と流通の量、それから値段の安定をも示してもゐる。これぞまさに焼き魚の三位一体で…などと云つたら、敬虔な人びとからお咤りを受けるだらうか。

 

 それはさうと。お酒…日本酒ですね、この場合…を嗜む時の肴に、お刺身を挙げるひとは、少からずをられるだらうが、私は焼き魚の方が似合ふと思ふ。

 理窟を云ふなら、魚介を(半)生で口にする技術や習慣は、江戸の末期…後期頃からやうやく成り立ち、完成した。焼くのと較べれば、實に“わかい”食べ方で、お酒にあはしきるだけの時間を得てゐない。

 理窟でない話をするなら、こちらの舌が、お刺身より焼き魚を好ましく感じるやうになつただけである。“わかい”胃袋の讀者諸嬢諸氏には、信じ難からう。併し貴女も、鮪のとろより赤身、更に漬けを経て、烏賊が美味しいと思ふに到るんです。

 

 さて焼き魚は晩酌の素晴しいお供になるのと同時に、朝めしのおかずにもなる。

 中でも尊敬する丸谷才一が云ふ、朝食のおかずと晩めしの肴は嚴かに円環を描く、を鮮やか且つ完璧に示す素晴しい實例こそ、鯖と鮭の塩焼きであらう。たとへば鯵の開きは朝めしに特化してゐるし、ほつけの登場は、夜の酒席にお願ひしたい。さう考へを進めてゆくと

 「“味はひと流通量と値段”の三位一体」

だけでなく

 「“おかずとお摘みの嚴かな”円環」

を描けもする…即ち鯖と鮭こそ、キング・オヴ・焼き魚の玉座を分けあふのに相応しい…と、私には思へる。残るのは、クイーン・オヴ・焼き魚は何か、といふ点で、これが機會を改めて、じつくり、考へるに値する課題なのは、疑念の余地がない。更に云へばプリンスやプリンセスはどうかとも思ふが、そこまでは私の手に余る。